「IGGY POP FAN CLUB」のメンバーは誰か

NUMBER GIRL【IGGY POP FAN CLUB】歌詞の意味を解釈!君との記憶をひも解くの画像

1997年11月6日発表、NUMBER GIRLのファースト・アルバムSCHOOL GIRL BYE BYE」。

このアルバムの5曲目に収録された「IGGY POP FAN CLUB」をご紹介しましょう。

耳を聾するようなファズ・ギターでガシガシとリフを決め込んでは切ない歌詞を歌い上げました。

ギター・ロックというものはこういうもの。

そんな新世代からの解答のように受け止められたサウンドです。

しかし、一方で向井秀徳が紡ぐ歌詞は繊細な側面を持ち合わせていました。

タイトルとおりにロックのレジェンドへの敬意を滲ませています。

一方でそのロック・レジェンドの音楽をケラケラ笑い飛ばした君の記憶を回想するのです。

歌詞の分量は驚くほどにわずかであります。

またノスタルジックな思い出の回想以外の意味を後から付け足す必要もありません。

それでもこの「IGGY POP FAN CLUB」の歌詞は非常に興味深いものです。

青春てこうだったなと少し赤面しながら思い出す記憶などを深堀りしてみましょう。

それでは実際の歌詞をご覧ください。

君は愛玩動物

大音量のギターの影に潜むもの

NUMBER GIRL【IGGY POP FAN CLUB】歌詞の意味を解釈!君との記憶をひも解くの画像

君は家猫娘だった
この部屋でいつも寝ころんで

出典: IGGY POP FAN CLUB/作詞:MUKAI SHUTOKU 作曲:MUKAI SHUTOKU

歌い出しの歌詞になります。

その前の印象的なギターの・リフこそを聴くべきかもしれません。

しかしこの記事ではあくまでも向井秀徳が紡ぐ歌詞に注目いたしましょう。

登場人物は語り手の俺とかつての同棲相手の君です。

俺はいま自室にいて、たまたま君のことを思い出したというのが大雑把な設定になります。

「IGGY POP FAN CLUB」は回想の歌であり、どこかノスタルジックな面影がある歌詞です。

耳が壊れそうになるほどの大音量・過剰音圧のギター。

そこにどちらかというと切ない思い出を歌う歌詞を乗せるNUMBER GIRLが新鮮でした。

猫だって色々だけれども

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俺はかつての同棲相手を家猫のようだと喩えます。

猫にも色々な境遇があるものです。

ここでいわれるのは家猫。

ただご飯を食べて可愛さだけでオーナーに奉仕して、あとはいつもぐっすり眠っています。

猫の境遇には野良猫や地域猫という境遇もあるでしょう。

野良猫はその名のとおりそこらの道に放たれてしまった猫です。

元々、猫というのは山猫を愛玩動物として手懐けたり品種改良を進めて人間に寄り添います。

ですから本来の猫というのはすべて家猫です。

しかし飼いきれなかったりし外飼いする無責任な飼い主の元から野良猫になってゆきます。

地域猫というのはこうした野良猫をなくすために避妊・去勢手術を施されて外飼いで管理される猫です。

ここでの君は幸いなことに恵まれた家猫のようでした。

野良に放たれたら一日も生きてゆけないだろう甘さというものがこの少女の性格にあるのです。

家猫の言葉を研究した人がいました。

家猫の文法には「ドアを開けろ」「メシ出せ」「水くれ」「撫でろ」という命令形しかないことが判明します。

そして家猫が撫でられた後に「にゃあ」と啼くのには「ありがとう」の意味はなくただの偶然でした。

この家猫というもののふてぶてしさがこの少女にも当てはまります。

同棲相手を家猫に喩えた向井秀徳は天才です。

そこに愛はあった

夕暮れに浮かぶ横顔が好きだった

俺のこの部屋に入り込む夕陽に映る
君の顔見とれてた俺はまさに赤色のエレジーだった!!

出典: IGGY POP FAN CLUB/作詞:MUKAI SHUTOKU 作曲:MUKAI SHUTOKU

俺の部屋というのですから家猫の少女はいつの間にか居着いてしまった存在だったのでしょう。

それでもそれなりに仲良く同棲していた雰囲気が漂っています。

家猫というのは愛嬌だけでオーナーに恩返しする存在です。

私は可愛いからそこを見ろという命令形的な態度をしているのかもしれません。

家猫にそういわれるとオーナーはそのとおりにするしかありません。

オーナーとはいえどちらが主人なのかなど、その主従関係は訳が分からないものです。

夕暮れの陽射しを浴びて少女が一番美しい時代の横顔などを眺めることができるのですから俺は我慢します。

そこはかとなく漂う理不尽さに気付いていたのですが、君の愛嬌のよさに負けてしまうのです。

男は単純な生きものなので家猫にだって手玉に取られます。

1970年代初頭の名作から

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ああ、あのときは赤い哀歌であったといまになって俺は振り返ります。

当時はその意味の大切さには気付いていなかったかもしれません。

刹那な愛はいずれ破綻しますが美しい記憶になって俺の青春を彩ります。

赤い哀歌って何のことと若いリスナーが不思議に思っても仕方がありません。

何せこの曲が発表された1997年でさえ、このラインの意味を履き違えていた若者がいました。

赤い哀歌とはあがた森魚というフォーク・シンガーが残した名曲「赤色エレジー」のオマージュです。

向井秀徳はUSオルタナティブ・シーンから多大な影響を受けました。

PixiesとHüsker Düを組み合わせたようなタイトル「Pixie Dü」という楽曲も残しています。

一方で向井秀徳は日本のアングラ・フォーク・ソングも聴いていたことを裏付けるラインです。

もしくはあがた森魚が参考にしたアングラ漫画の「赤色エレジー」の方からの影響かもしれません。

林静一が「ガロ」で連載していた漫画です。

漫画も歌も若い男女の同棲生活を描いた作品になります。

愛だけが頼りでしたがふたりの力のなさのために崩れ去った同棲生活を描きました。

あの漫画や歌と同じような心境だったと俺は振り返っていたのです。

そのとおり、この同棲生活もいつの間にか破綻する運命にあります。

青春の蹉跌