かりゆし58(かりゆしごじゅうはち)について

「かりゆし」ってどういう意味?

沖縄の方言「かりゆし」の言葉通り、メンバー全員が沖縄県出身・在住のロックバンド

ちなみに「かりゆし」とは「縁起がいい・めでたい」という意味で、さらに「58」という数字は国道58号線から由来したものだそうです。

かりゆし58「電照菊」は沖縄の風物詩...?!人気曲の歌詞を紐解く!動画情報はこちらから♪の画像

2005年、前川真悟(ボーカル・ベース)、新屋行裕ギター)、中村洋貴ドラムス)の3名で始まったバンドは、2008年に宮平直樹ギター)が加わり、現在の形態になりました。

全員沖縄出身とはいえ、前川は沖縄県島尻郡八重瀬町出身、マネージャーといわれるROCK-G(ろっくじー)は宮城県気仙沼市あたりの出身だそうです。

このマネージャーが一番ロックな名前ですね!びっくり。

『かりゆし58』公式ホームページ。沖縄音階にロック、レゲエなどのサウンドを取り入れた曲にストレートな歌詞を合わせた独自のバンドサウンド!

なぜ「58」なの?

かりゆし58の「58」が国道58号から来たものだということはわかりましたが、なぜあえて58号線なのでしょうか。

国道58号線は、鹿児島県鹿児島市から沖縄県那覇市へ至る国道のことです。

県庁所在地である鹿児島市と那覇市とを、種子島、奄美大島を中継して連絡する日本では一番長い海上国道で、総延長は884.4 キロメートルを誇ります。

そのうち大部分を占める海上区間の延長609.5 キロメートルも日本最長です。

鹿児島市内は700キロ程度ですが、沖縄区間には宜野湾・名護・嘉手納など、基地問題を抱える沖縄の象徴的な都市を通過します。

かりゆし58「電照菊」は沖縄の風物詩...?!人気曲の歌詞を紐解く!動画情報はこちらから♪の画像

沖縄県内の道路は米軍が整備・指定したHighway No.1(那覇市 - 国頭村)がその起源です。この道路は基地の島・沖縄の大動脈として、当時は緊急時の滑走路としての利用も考えられていたとか。

さらに、1952年4月1日の琉球政府発足後、琉球政府の道路法に基づき、読谷村大湾(よみたんそん おおわん) - 名護町名護(なごちょう なご) - 国頭村奥(くにがみそんおく)を結ぶ区間は政府道一号線に認定されていたのです。

県内では「一号線」との呼び声高く「沖縄を象徴する最も慕われた道路」。国道58号関連の土産物グッズは日本の国道の中でも特に多いといわれているほどの愛されようです。

まさに58号線こそかりゆし58ローカリズムのシンボル的な存在なのですね。ウチナー(沖縄のこと)精神のもと、沖縄という土地に根ざしたバンドかりゆし58なのです。

『とぅしびぃ、かりゆし』、10歳の誕生日おめでとう!アルバム

かりゆし58「電照菊」は沖縄の風物詩...?!人気曲の歌詞を紐解く!動画情報はこちらから♪の画像

2016年、結成10周年を迎え、10周年記念ベストアルバム『とぅしびぃ、かりゆし』を発表しました。

タイトルの「とぅしびぃ、かりゆし」は、沖縄の言葉で「誕生日、おめでとう」を意味します。どこどこまでも沖縄に、というか自分のアイデンティティーにこだわり続けるのでした。

『電照菊』の景色

電照菊とは一体どんなお花なんでしょう?

開花期を人工的に変動させることを目的に電照を利用する栽培法で育てられた菊を電照菊と言います。

作物には昼夜の長短に応じて開花する性質があり,日照時間が 12時間より長い季節に開花するものを長日性、それとは反対の性質のものを短日性、さらに短いときから長いときの範囲で開花するものを中間性と呼んで区別しています。

菊は稲、朝顔、麦,えんどうなどと並び長日性の作物。菊を冬に栽培すると草丈が低いうちに開花してしまうので商品になりませんが、夕方または夜間に一定時間電灯の下で生育させ一定の草丈に伸長させてから電照をやめると、開花の条件が整うというわけ。

このように育てられた菊を電照菊と言うのです。

沖縄ではこの電照菊の景色が風物詩となっているのです。暗闇に整然と並ぶ光が、イルミネーションのごとく静かに夜を照らし出します。

なんというか、とても神聖な光。日々の糧(かて)、人々の暮らしを支える厳かな光、仕事の灯りというのかな、心にジーンと染みる景色なのです。