タイトルが持つ力や歌詞の重たさに反して、曲はどこまでもポップなのです。

「うらめしや」という言葉がこれほど楽しげに響く広さを得るために、タイトルにカタカナが採用されたのでしょう。

ハレハレヤ

タイトルを一瞬「ハレルヤ」と見間違えそうなこのナンバーは、優しさに満ちた曲です。

しかし気持ちが晴れるのか、と問われれば安易に首肯できません。

願いが届かなかった寂しさを歌う曲なのです。

落ち着いて語りかけるように丁寧に紡がれていく歌詞が心に届きます。

大切なものを心に灯し、燃やして、そして失う。

それでも確かにそこにあったと思えることで、少しだけ前進する優しい曲だと感じます。

曲に登場する彼の心はきっと晴天ではないでしょう。

しかし晴れやかであってほしい。そんなナンバーです。

「ハレとケ」という民俗学的な考え方からすると、ハレは特別な日を表します。

ハレハレヤの「ハレ」はおそらく「ハレの日」のハレを意味しているのでしょう。

夜の街迷いし穢れの乱歩
何処から来たのよ見窄らしいね
ねぇうちにおいで温めてあげるよ
今までよく頑張ったよね
ここらで休んでみませんか

出典: ハレハレヤ/作詞:羽生まゐご 作曲:羽生まゐご

きっと出会いが特別なハレだったからこそ、別れの後も相手の行く先がハレであれと願っているのです。

余談ですが、「ハレルヤ」は感謝を表す言葉です。

「ハレハレヤ」の歌詞の世界観にも少しマッチしていると思いませんか?

これを意図してつけているのであれば、羽生まゐごは本当に天才なんだなと感じます。

阿吽のビーツ

古代インドのサンスクリットの悉曇文字(梵字)において、a(阿)は全く妨げのない状態で口を大きく開いたときの音、m(hūṃ、吽)は口を完全に閉じたときの音である。悉曇文字の字母の配列は、口を大きく開いたa(阿)から始まり、口を完全に閉じたm(hūṃ、吽)で終わっており、そこから「阿吽」は宇宙の始まりから終わりまでを表す言葉とされた。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/阿吽

阿吽とは、実はサンスクリット語なのですね。

日本では「阿吽の呼吸」という慣用句でよく知られています。

息がピッタリあうように行動や思考が一致することを指す言葉です。

阿吽の「ビーツ」を「鼓動」と訳してみましょう。

阿吽の呼吸のように2人がピッタリと意思疎通できているようなタイトルだと感じられます。

しかし歌詞では、相手からのレスポンスを待つ姿が描かれているのです。

阿吽の呼吸ができない2人

羽生まゐご【浮世巡り】1stアルバムを徹底解説します!YouTubeで話題のあの曲ももちろん収録♪の画像

貴方が僕に言ったこと誰の為なの
答えは僕の中で探しちゃダメなの
貴方を啓蒙したいのどうして
曖昧な答え直して
雨が降って愛が去っていた

出典: 阿吽のビーツ/作詞:羽生まゐご 作曲:羽生まゐご

阿吽のビーツでは、2人がすれ違う様子が歌われています。

1番では「私」、2番では対になるように「僕」の心境が描かれるといった構図です。

彼女が彼を思ってしていた行為。しかし彼は別の思惑でその行為を受け取っていたというすれ違いが読み取れます。

そして別れが決定的になった最後の瞬間に、2人のビーツ(鼓動)がようやく一致するのです。

気付いたときにはもう遅い

羽生まゐご【浮世巡り】1stアルバムを徹底解説します!YouTubeで話題のあの曲ももちろん収録♪の画像

貴方から言ってくださいね

出典: 阿吽のビーツ/作詞:羽生まゐご 作曲:羽生まゐご

阿吽の呼吸のように通じ合ったのはこの瞬間だけ、という切ない結末ですね。

普遍的なテーマながら、和の音階とボーカロイドの無機質な声によって深い世界観が感じ取れます。

普遍的なテーマだからこそ共感を呼び、YouTubeにおいて500万回以上再生されているのでしょう。

ケガレの唄