最後のサビ前のフレーズでは、まさにそんな「抜け出したい」という気持ちが切実に語られます。
疲労や退屈よりも、もっと苦痛を伴う何かから。
俺の心にかかった煙の輪っかが消え去るところに連れてってくれ
もやがかった時間の廃墟を降りて、木の葉も凍るような過去からも遠くに
呪われた恐ろしい木々、風が吹きすさぶ海岸
狂った悲しみが伸ばすねじくれた魔の手も届かないところ
出典: Mr. Tambourine Man/作詞:Bob Dylan 作曲:Bob Dylan
主人公がとらわれているのは、過去の時間でもあるようです。
「廃墟」や「凍る」、「呪われた」といったおどろおどろしい単語で表される過去。
その中で彼は、思い返して直接表現するのもおぞましいような経験をしてきたのかもしれません。
その先にあるもの
Yes, to dance beneath the diamond sky with one hand waving free
出典: Mr. Tambourine Man/作詞:Bob Dylan 作曲:Bob Dylan
だからこそ、そのトラウマから抜け出させてほしい。
全てを忘れ去り、キラキラと輝く場所で安心して踊りたい。
そう強く願っているのです。
そうだ、片手を自由に振りかざして、ダイヤモンドの空の下で踊ろう
出典: Mr. Tambourine Man/作詞:Bob Dylan 作曲:Bob Dylan
描写はどこまでも美しく開放的ですが、込められた意味はなんとも切実なものなのです。
彼が願うもの
自発的でない主人公
ところで、最初にこの曲には「諦観」が漂っているようだと書きました。
それは主人公たる彼が、自分でアクションを起こそうとしていない点にあります。
誰か(この場合は、タンブリンマン)に、自分が今いるここから連れ出してほしい。
辛い過去を忘れられるきっかけを与えてもらいたい。
そう願っているように聴こえるのです。
諦めてしまう理由とは
学習性無力感という言葉をご存知でしょうか。
心理学者セリングマンが提唱した、このような理論です。
学習性無力感(がくしゅうせいむりょくかん、英: Learned helplessness[1])とは、長期にわたってストレスの回避困難な環境に置かれた人や動物は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという現象である。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/学習性無力感
過去に壮絶な体験をした主人公は、このような状態に陥っている可能性があります。
そのため、自らは動き出すことができないのです。
ただ、完全に諦めているわけではなく「この閉塞感から抜け出したい」という思いはある様子。
その分、少しは救いがあるようにも感じられます。
しかし、抜け出させてくれる対象、つまりここでいう「タンブリンマン」。
その選択を誤らなければ、の話ですが。