「TOKIO」について
1980年1月発売のシングル
沢田研二の豪華で奇抜な衣装が話題を集めた楽曲「TOKIO」。この曲は、1980年1月発売に同名のシングルとして発売されました。
テクノポップを取り入れた大胆なサウンドと、印象に残る歌詞とメロディーが特徴の曲です。
アルバム「TOKIO」にも収録
この曲は、1979年11月発売の沢田研二の13作目のアルバム「TOKIO」にも収録されています。このアルバムの発売後に、「TOKIO」はシングルカットされました。
加瀬邦彦がプロデューサーに迎えられ、それまでと異なったテクノポップを意識した内容になっています。
沢田研二の「ヴィジュアル期」の楽曲
「TOKIO」はその奇抜な衣装や、演出が大きな話題を集めました。この曲は沢田研二の「ヴィジュアル期」の作品です。その詳細について詳しく紹介します。
250万円の費用をかけて衣装を製作
動画をご覧いただくとわかりますが、今見ても「TOKIO」の衣装は奇抜でインパクトがあります。なんと、この衣装は総額で250万円もの費用をかけて製作されたそうです。
パラシュートを背負い、貴族のようなジャケットを羽織っています。そして、まばゆいばかりの電飾で彩られるという一度見たら忘れられないような衣装です。
現実的な東京ではなく、近未来の「スーパーシティ」である「TOKIO」を全身で表現しいるのではないでしょうか。
1970年代終わりにイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)があらわれたことで、その当時テクノポップは大きな注目を集めていました。
そのYMOの代表曲の1つに1979年10月に発売された「テクノポリス」があります。この「テクノポリス」の中で、「TOKIO」というフレーズが何度も出てくるのです。
ほぼ同時期に発売されていますので、「TOKIO」が「テクノポリス」を意識していないはずはないでしょう。
その最先端の音楽を沢田研二は積極的に取り入れ、より多くのファンを獲得することになります。
1977年からヴィジュアルがより過激に
沢田研二は、それまでもコンサートでインディアンのような派手なチークを入れたりと化粧をすることはありました。
それが、1977年「さよならをいう気もない」から、ヴィジュアルを重視したスタイルに偏っていきます。
「さよならをいう気もない」では、金色のキャミソールという衣装でテレビに出演しています。
代表曲である「勝手にしやがれ」では、帽子を観客席に投げるというパフォーマンスを行って大きな話題を集めました。
「LOVE(抱きしめたい)」「サムライ」をテレビで披露した際には、軍服や血染めの包帯を巻くなどそのヴィジュアルはさらに過激になっていきます。
それにより強烈なインパクトを残した沢田研二は、「お茶の間のアイドル」として確かな地位を築きます。
しかし、それはただ目新しかったというだけではありません。沢田研二が歌手として確かな実力を持っており、時代の波をとらえた結果と言えるでしょう。
下記は「サムライ」の動画です。ビジュアル・演出・音楽など、観客を楽しませる真摯さが伝わって来ないでしょうか。