二面性のある、テクニカルな歌詞

「黒毛和牛上塩タン焼680円/大塚愛」のタイトルにはこんな意味があった?!歌詞に込められた想いとは?の画像

ずぅーっと会いたくて待ってたの
あみの上に優しく寝かせて
あなたにほてらされて
あたしは 色が変わるくらい

出典: 黒毛和牛上塩タン焼680円/作詞:愛 作曲:愛

あみの上に優しく寝かせて」というフレーズや、「あたしは色が変わるくらい」というフレーズは、まるで焼肉のお肉の様子を擬人化して表現しているように思えますよね。

これだけ聞くとただの焼肉の様子を面白く描いたのだと感じ取ることもできますが、これはベッドの上の男女の関係を描いた大人の曲としても聞くことができるのです。

「あなた」と「あたし」という2人の登場人物による恋模様を焼肉に喩えているのでしょう。

喩えているのが何故、他の食べ物ではなく焼肉なのかということを考えるとこの楽曲の巧みさが分かってきます。

焼肉というのはいつでも食べられるものではなく、どちらかというと贅沢な食事であるといえます。

じっくりと肉を焼きながら、焼きあがるのを待つというのは時間に余裕がなければ出来ない食事です。

「あたし」も「あなた」と会うことを焼肉のように、贅沢な時間だと考えているのではないでしょうか。

主人公が大切にしている2人の時間を、焼肉に喩えていると考えることもできるでしょう。

大塚愛恋愛観が感じられる歌詞だといえます。

大人の恋愛を焼肉と絡めて官能的に表現


だぁいすきよ もっと もっと あたしを愛して
だぁいすきよ あなたと1つになれるのなら
こんな幸せはないわ… お味はいかが?

出典: 黒毛和牛上塩タン焼680円/作詞:愛 作曲:愛

サビに入ると、やはり愛し合う男女のような情景が描かれており、焼肉の印象が一気に薄れます。

しかし最後に「お味はいかが?」と言っている部分で急に焼肉の話題に戻ってくるような感覚を覚えます。

しかし、「お味はいかが?」というフレーズは男女の関係において女性側が男性に満足度を尋ねるようなニュアンスであるとも言えるので、こちらもやはり秀逸な二面性のある文章展開となっています。

よく考えずに聞くと焼肉が大好きだという風に歌っているようにも聞こえるため、どこかユーモラスにも感じられる歌詞

しかしよく考えれば違和感を感じる歌詞です。

実際は「あなた」、つまり恋人のことを大好きだと歌っているのでしょう。

彼女にとっての幸せは、恋人と愛し合うこと。

そしてそれはまるで焼肉のように、時間をかけながら徐々に2人の気持ちを育んでいきたいと考えているのです。

愛して欲しいという願望には、自分も彼のことを愛したいという気持ちが含まれているのでしょう。

2人の気持ちが1つになることを望む主人公の気持ちがよく表れている歌詞です。

レモンが意味するものとは

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ほんのり香るレモンの味で オシャレ

出典: 黒毛和牛上塩タン焼680円/作詞:愛 作曲:愛

ここまでの歌詞を読んできたことで、タン塩にかけるあのレモンから私たちは自然と香水を想像します。

レモンといっていることから、その香りがシトラス系であることは容易に想像できるでしょう。

そしてその爽やかな香りから、私たちは自然とこの楽曲の主人公である女性がどんな人物かを想像するのです。

焼肉という喩えを守りながらもそこから更に踏み込み、どのような主人公かを想像させる。

その歌詞表現は大塚愛だからこそ成せる技だといって良いでしょう。

「黒毛和牛上塩タン焼735円」との違い

別バージョンが存在する

「黒毛和牛上塩タン焼680円/大塚愛」のタイトルにはこんな意味があった?!歌詞に込められた想いとは?の画像

シングルとして販売された「黒毛和牛上塩タン焼680円」は大人気となった楽曲ですが、実はこれとほとんど同じ歌詞でありながらバージョン違いとしてアルバム収録された「黒毛和牛上塩タン焼735円」という楽曲もあります。

タイトル同様歌詞もほとんど変わらず、「735円」の方には、最後に「また会いに来てね」というワンフレーズが追加されているだけなのです。

ただ、大塚愛本人曰く、これはほとんど同じ歌詞でありながら登場する女性の人格が全く異なっており、「680円」の方は少し過激で危なげなことを好む女性を表現しており、曲調もロック調です。

対して「735円」の方に登場するのは母性や包容力のある女性で、メロディーもしっとりとしています。

楽曲の持つ二面性

「680円」バージョンと「735円」バージョンで楽曲の雰囲気に違いが生まれています。

バージョン違いを作るというのは、彼女なりに考えがあってのことだと考えて良いでしょう。

これは大塚愛の楽曲における、二面性と関連していると考えられないでしょうか。

「さくらんぼ」などで表される無邪気な女性像と、「黒毛和牛上塩タン焼」で表される大人っぽい女性像。

その2つが対比されているのと同じように、「680円」バージョンと「735円」バージョンで女性像が対比されているのです。

彼女は女性というものの本質を描く上で、その二面性に注目して描いているのかもしれません。

だからこそ、この楽曲でもこのように別バージョンを作ることで女性という存在を多層的に描こうとしたのではないでしょうか。

まとめ