阿部真央の「最後の私」とは?
「最後の私」は、2013年3月6日に発売された阿部真央の9枚目のシングルです。
TBS系「CDTV」3月オープニングテーマにも起用されたこの曲。
歌詞にはどんな想いが込められているのでしょうか?
そして「最後の私」というタイトルの意味とは...?
歌詞を解釈し、その意味にも迫ります!
「最後の私」に描かれているのは実話?!
今にも泣き出しそうな表情が痛々しいほどの感情を伝えるMVですよね。
それもそのはず、「最後の私」の歌詞は阿部真央さん自身の失恋を描いているんです。
実体験を歌詞にした楽曲の多い阿部真央さんですが、失恋の経験から歌詞を書く際には自分が回復してから書くそうです。
しかし、この楽曲はまだ気持ちの整理も付いていないような中、書き出してしまったんだとか。
そして、歌詞を書きながら、どれだけ相手のことが好きだったかを自覚したということを以前のインタビューで語っていました。
そんなエピソードだけでもとても切ない気持ちになりますが、歌詞の意味を解釈し、この歌詞に込められた想いに迫っていきたいと思います。
阿部真央「最後の私」の歌詞を解釈!
ここからは「最後の私」の歌詞を解釈していきます。
切なすぎる失恋に感情移入しながら読んでいただければと思います。
報われるはずがなかった理由は?終わってしまった恋の歌の始まり
遂に打ち明けることのなかった恋
報われるはずなどなかった片想い
9月の風の中 貴方を慕った日々
遠くなる声と 幼い笑顔
ふたり笑い歩いた道 覚えてる?
肩が触れるだけで その目を見つめられなくなり
指が触れるだけで もう何もできなくなる
あの日の私は貴方にどう映ったの?
出典: 最後の私/作詞:阿部真央 作曲:阿部真央
失恋といってもいろんな種類がありますが、この歌詞では片想いのまま、その想いを伝えられずに終わってしまった恋が描かれています。
気持ちを伝えられなかったのだから、報われるはずもなかったという意味なのか、それとも...。
ただ、その恋が終わってしまったからといってあの時の気持ちがなくなるわけではない。
笑いあって歩いた道も偶然「貴方」と肩が当たったり、 指が触れたりするたびにドキドキした事も、忘れられないのです。
片想いしていると、相手とできた会話や、嬉しかったこと、カッコ良かった行動など、全てを覚えていてしまうものですよね。
しかし、想いを伝えられずに片想いが終わってしまうと、変わらずに頭は全てを覚えているのに、心は失恋の虚無感に苛まれる。
自分が分裂してしまいそうな悲しみが伝わってくるような歌詞ですね。
自分にとっては大切な時間だったこと、相手にとっても少しでもそうであればいい
貴方にとって私は不出来でも 貴方に出会えて私は変われたの
貴方と共にあった 私の時間を ほんの少しでいい、認めて下さい
雪は17時を過ぎてから 思い出かき消すように積もって
ふたりが出会った冬が もうそこまで来ています
出典: 最後の私/作詞:阿部真央 作曲:阿部真央
「貴方」にとっては不出来だったとしても出会えたことで変われたという歌詞から、もしかしたら仕事関係の人だったのかもしれませんね。
「貴方」にとってはただの仕事仲間として過ごした時間だったとしても、「私」にとっては大切な時間だった。
そのことを少しでも認めて欲しいという気持ちが切ないですね。
外にいるのでしょう。
夕方になって降り出した雪は思い出の残る街を覆い隠し、「私」の想いをなかったことにするかのように感じているのでした。
自然に降る雪にすらそんなことを感じてしまうのが切ないですね。
しかし、どうして片想いを諦めなければならなかったのでしょう。
続きの歌詞も見ていきましょう。
失恋が悲しい理由を言い当てた歌詞に注目
貴方に出会い 貴方に恋をして
色あせた毎日は 輝き彩り取り戻し
貴方の一言に 思いを巡らせては
浮き立つ私を、私は好きでした
出典: 最後の私/作詞:阿部真央 作曲:阿部真央
恋をして、相手のことを好きになっていたのはもちろん、そんな風に相手を好きだった自分も好きだったという歌詞。
失恋がつらい理由は、恋を失うだけでなく、好きだった間の自分も失うからこんなに悲しいんだという失恋による悲しみの本質を描いています。
阿部真央さんの凄さがわかる歌詞ですが、感心するのと同時に気持ちが手に取るようにわかって切なすぎますね。