お互いが気遣いで支え合う
「大丈夫?」ってさぁ 君が気付いてさ 聞くから
「大丈夫だよ」って 僕は慌てて言うけど
なんでそんなことを 言うんだよ
崩れそうなのは 君なのに
出典: 大丈夫/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
共感力や想像力を持っていたのは僕だけではなかったのです。
世界を背負ってしまうような性格の君こそが優れた共感力と想像力の持ち主でした。
自分以外のものを背負ってしまうような人というのは共感力と想像力によって世界の軋みを耳にします。
世界の軋みが問いかけるものから耳を離すことができない性分なのでしょう。
君はさらに共感力と想像力を駆使して手当するべきものは何かを考えるのです。
そんな君の前に現れた僕。
君は僕もつらい日々を送っていることを想像力、あるいは直感で見抜いて「大丈夫」と尋ねるのです。
これこそが共感力のなせる業でしょう。
僕も君がつらいものを背負っていることに気付いています。
自分よりも深刻な人に心配されたことに不思議な感情を抱くのです。
ふたつの繊細な共感力が共鳴した瞬間を捉えたシーンでしょう。
歌詞は語り手の僕の独白によって綴られるので君が実際に僕に何を見たのかは明示されません。
お互いが「大丈夫」と気遣う姿はいかに世界が苦境に直面しているかの顕れでしょう。
つらい状況で私たちは苦難をシェアしながら乗り越えてゆく智慧があるのです。
僕と君は宿命的に結びつき惹かれ合い生きていきます。
ドラマの本編が始まったのでしょう。
「大丈夫」という言葉の意味は
「大丈夫」というタイトルがここで回収されます。
この「大丈夫」という言葉に関する様々な定義がこの曲を解釈する際の鍵になるのです。
括弧付きの「大丈夫」と括弧のつかない無印の大丈夫が巧妙に分けられています。
「大丈夫」と大丈夫の意義の違いはその都度考察しましょう。
ここで現れた括弧のついた「大丈夫」とは実際に交わしたセリフであるためです。
「大丈夫か」と尋ねられて「大丈夫」と答える。
「大丈夫」とはこれだけでお互いの傷の具合を確認し合えるし、傷の具合を表す回答にもなりえます。
実際には相手を心配させてはならないという気遣いで「大丈夫」と答えている側面もあるでしょう。
傍から見る限り僕は全然大丈夫ではないのにと君は直感したはずです。
私たちは身近な人がつらそうな状況にあるのを見ると「大丈夫?」と声をかけます。
そのときに素直に苦境を知らせてくれるとは期待していません。
相手は私たちの気持ちの負担になるまいと「大丈夫だよ」と答えるのが普通のことだからです。
こうして相手の負担にならないようにという気遣いは美しいものかもしれません。
しかしレスキューを必要している人にはもう一歩踏み込んで「本当に大丈夫?」と促す必要があります。
助力になりたい。
私たちの社会は何でも自己責任を強いられる不寛容な状態にあります。
しかし自助だけでは太刀打ちできない現実に気付くからこそ私たちはパートナーや家族を求めるのです。
そして狭いコミュニティでの共助、それでも追いつかないときは公助を求めるでしょう。
これは苦境にある人に手を差し伸べるための共感力によって支えられています。
「大丈夫?」と尋ねる心を持ち寄ることでしか社会は救えないところまで来てしまいました。
この言葉にある様々な意義や価値にもう一度光を当てようとしたのが楽曲「大丈夫」です。
新しい人生の始まり
空虚な人生に苛立ちながら
安い夢に遊ばれ こんなとこに来た
この命の無目的さに 腹を立てるけど
君がいると 何も言えない 僕がいた
君がいれば 何でもやれる 僕がいた
出典: 大丈夫/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
僕は16歳の少年という設定があります。
物事が子どもの頃のようには思うようにいかなくなることを知る歳頃でしょう。
一方で僕はリスナーのものでもあります。
リスナーは僕か君のどちらかに自分の姿を投影するでしょう。
その際に年齢設定は無効になるはずです。
作品は世の中に出た瞬間に受け手のものになるのですから。
僕にとって不甲斐ない日々が続いていたことが回想されます。
日々の生活の難しさに軋轢を感じるリスナーの魂が共感で震えるでしょう。
自分が生きてきた意味は何であるのか。
そうした人生の基軸・基本のようなものさえ曖昧なままで生きています。
そうした生活の中では自分の生命の意味を見失いがちになります。
生きていることの空虚さに耐えきれない思いを抱えながら生きるのは一種の地獄でしょう。
それでも人生を降りるまでの決意はできません。
自分に何ができるのか無力感に押し潰されてでも足掻く僕の姿があります。
君はそうした僕の現状を憂慮して「大丈夫?」と尋ねました。
まっすぐな瞳に見つめられて僕の胸に去来した思いはどのようなものでしょうか。
自分よりもつらそうな君のために僕はここから本当の人生を始めます。
青春とポップソングの相関
映画「天気の子」に関してはそのライトノベル的な青春の描き方に賛否があります。
主題歌であるRADWIMPSの「大丈夫」にも青春や恋愛に関してのライトノベル的な把握が見られるのです。
ふたりがそろえば無敵じゃないかという青春と恋の描き方。
これは実社会の中では驕りを指摘されて芽のうちから潰されるでしょう。
僕が君と出会う前の社会の重圧はその後も続いています。
しかし君と出会っただけで僕の社会への向かい方は一変しました。
あれほど重圧であった社会に強い人間として対峙できる。
そのきっかけが君に出会ったことによってすべての運命が変えられたからです。
こうした作品世界はどこかライトノベル的なイージーさを感じるというリスナーもいるかもしれません。
しかしポップソングが歌う青春の在り方は概ねこうした青春や恋の有り様を肯定します。
青春期の恋には当事者たちに万能感を与える力が確かにあるのです。
人生が本当に始まったという印象の僕の力はこの先にさらに大きなものに成長します。
「大丈夫」という楽曲が新しい価値を私たちリスナーに授けるのもこの先の描写にあるのです。
先を見ていきましょう。
言葉だけのコミュニケーション
世界が君の小さな肩に 乗っているのが
僕にだけは見えて かける言葉を探したよ
頼りないのは 重々知っているけど
僕の肩でよかったら 好きに使っていいから
なんて言うと 君はマセた
笑顔でこの頭を 撫でるんだ
出典: 大丈夫/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
一部リフレインを含みますが若干歌詞を変えてくれています。
野田洋次郎はまだ稚いといってもいいふたりが支え合う姿を描くのです。
映画「天気の子」で君は東京の命運を一身に担っているという設定。
その君に愛を捧げるのが僕ですが経験値という点では少年の範疇を超えられません。
不思議な力を持っている君と支える僕という映画の設定にこだわると歌詞の意味が狭くなるでしょう。
もっと普遍的な青春ソングとして捉え直したいです。
普通の能力しか持たない私たち現実のリスナーのために解釈し直します。
青春期の恋愛が両想いになること自体が恵まれているでしょう。
お互いにまだどんな人生を歩んでゆくか見えていない稚い愛です。
ふたりが言葉を媒介にコミュニケーションします。
大人の愛のような肉感的な裏付けはまだないのです。
言葉だけが頼りですから「大丈夫」という言葉でお互いの無事を確認します。
それでも何と声をかけていいのか悩むようです。
この関係が強く揺るがないものに育ってゆくにはもっと時間の積み重ねが必要でしょう。
気遣いし合うふたり。
コミュニケーションのツールは会話のみ。
言葉に比重がかかりすぎている稚い愛の実態が裏面に書かれています。
手がかりにしている言葉はやはり「大丈夫」というものです。
このことを深く解明するために先を見ていきましょう。
いよいよ本題に突入します。