車への気持ちを、さらに彼は歌い上げます。

車は口答えなんかしない
四輪のついた俺の相棒だ
お前のハンドルを握っていると
聞こえてくるのはギアの音だけ
ガンガン飛ばして車を流せば
つまんねーおしゃべりも聞かなくていい

出典: I'm In Love With My Car/作詞:Roger Taylor 作曲:Roger Taylor

運転することそのものが幸せ

車を運転している時は、それに集中しているもの。

ライブが趣味の人であれば、なおさらでしょう。

他のことに気を取られることなく、運転することそのものを楽しみたい。

自分にとって最高の「相棒」の走りを味わいたい。

そのためには、助手席に誰かを乗せるとか、ただどこかに行くためだとか。

そのような「別の目的」は不要なのかもしれません。

ただ、車を運転するという行為に没頭する。

それが「夢のようなマシン」を手に入れた主人公にとっては重要で、最高に楽しいことなのです。

比喩ではない「愛」

もちろんこの部分も、車を人間に置き換えて読むこともできるでしょう。

何ものにも変えられないほど、新しい相手に夢中になっている。

そんな様子ともとらえられます。

しかし、ここまでそう言っておいてなんですが、ここはそのままの意味でとった方が良いでしょう。

やはりこれは「車への愛」をストレートに表現した曲なのです。

主人公にとって「愛」とは

それぞれに、違う「愛」がある

誰かや何かを愛する、好きになる。

言葉の上では同じ表現でも、それを向ける対象が違えば、形や大きさ・深さもそれぞれ違います。

つまりはそれぞれが唯一無二のものなのでしょう。

去ってしまった彼女は、主人公に問いたかったかもしれません。

「私と車、どっちが大事なの?」と。

けれど、彼女への「愛」と車への「愛」は別物です。

同じ「愛」とはいえ、それぞれに少しずつ違った気持ちを注ぐもの。

少なくとも、主人公の中では、そういう位置づけであるように聞こえてきます。

この曲の様子だと、彼女へ注ぐ方の愛が、疎かになってしまったのかもしれません。

そう、車を手に入れる前よりも。

けれど、だからといって車への愛の方が大きかったというわけではないのです。

比べられないもの

人間よりも機械をとるのか、と言いたくなる人もいるでしょう。

しかし、気持ちには優劣があるわけではないのです。

ただ、それぞれの対象に見合った、違う種類の愛を注いでいるだけ。

対象が何であっても、それぞれの愛を比べるものじゃない。

主人公は心の奥で、そう考えているようにも感じられます。

「愛」にまっすぐ

最後まで車への愛を

I'm in love with my car
(Love with my car)
Gotta feel for my automobile

出典: I'm In Love With My Car/作詞:Roger Taylor 作曲:Roger Taylor

最後まで叫ばれるのは、やはり車への愛の深さです。

俺はこの車に首ったけなんだ
(こいつを愛してるんだ)
俺の車に感じてるんだ

出典: I'm In Love With My Car/作詞:Roger Taylor 作曲:Roger Taylor

車に夢中だから、これさえあればいい。

最後まで繰り返す様子は、自分に言い聞かせているようだと読み取ることもできます。

そう、彼女を失ってしまったショックから。

しかしやはりここも、本当にこの車に「夢中」になっているととった方が良いでしょう。

「女なんか居なくたっていいんだ、車があるんだから!」ではないのです。

とにかく、ただただ「この車はサイコーだ!」ということ。

「サイコ-」なのは「彼女と比べて」ではなく、車そのものがただ素晴らしい、ということです。

他の何物かと比べているわけではない、車そのものへの愛

そんなまっすぐな気持ちが叫ばれている曲なのです。