THE YELLOW MONKEYとは?

1988年に結成され、大人気のまま解散したロックバンドです。2001年1月の活動停止後、2004年7月7日に解散しましたが、2016年に再結成されました。 ほとんどの楽曲の作詞・作曲を行なっているのはボーカルの吉井和哉です。彼らが影響を受けたのは海外の様々なロックですが、なかでもデビッド・ボウイの影響は計り知れないでしょう。 復活曲「砂の塔」はドラマ主題歌でもありますが、筆者はより大きな意味でとらえています。その歌詞の意味を紐解くために、まずはデビッド・ボウイの話からさせていただきます。

THE YELLOW MONKEY「砂の塔」の歌詞に隠された意味は?MVに登場する坂ノ上茜が...!の画像

グラムロックの開祖、デビッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』とは?

2度グラミー賞を受賞し、最も影響力のあるアーティストとも言われるデビッド・ボウイは2016年1月10日に亡くなりました。彼のキャリアの中でも日本のロックのうち、ビジュアル系と呼ばれる音楽の祖はデビッド・ボウイの「ジギー・スターダスト」というコンセプトアルバムの中のキャラクターに由来します。

デビッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』とは?

ジギー・スターダストとはデビッド・ボウイが演じたキャラクター。音楽、俳優、絵画や日本の歌舞伎などの芸能から影響を受け、自分自身を虚像のロックスター「ジギー」として演じました。

化粧をしバイセクシャルと発言し完全に異世界の超越的な人物になることで、ロック界の頂点に立ち、その絶頂で解散するというひとつの物語を組みこんだジギー。その人生そのものがひとつの性的な表現でもあるようです。

デビッド・ボウイ自体は、その後もアーティストとして活動をしたのですが、この神の化身を目指したかのようなキャラクターはその後、日本のロックに組みこまれていったと考えられます。

あえてその名称は挙げませんが、頂点を目指し、その頂点で崩壊するというロックストーリーは、日本の歌舞伎的な表現の現代版でもあるかもしれません。

THE YELLOW MONKEY「砂の塔」の歌詞に隠された意味は?MVに登場する坂ノ上茜が...!の画像

THE YELLOW MONKEYのストーリー

ボーカルである吉井は自分たちをTHE YELLOW MONKEYと名付けました。

黄色い猿とは海外では日本人を差別する言葉なのですが、ダサくてシニカルな名前にしたいと考えた吉井はこの名前をつけました。

そこには日本人が持つ西洋に対するコンプレックスがそのままあらわれていたでしょう。

1980年代ごろまでは日本のインディーズ音楽は歌謡曲とは異なり、さまざまな活動をしていました。

フォークだけではなくアヴァンギャルドな表現にふみこみアーティスト活動をおこなっていた数多くのバンドがありました。

そういったアーティストの中で、西洋的なロックを日本のロックにしていくことが模索されました。

本当に頂点までのぼりつめたアーティストが出てきたのは1980年代以降だと考えられます。

そのうちのひとつのバンドTHE YELLOW MONKEYです。

彼らは日本のロックを前進させましたが、そのルーツである「ジギー」というキャラクターが絶頂で解散するという物語を背負っていた為、彼ら自身も頂点を極めて解散する運命にあったと筆者は考えています。

そしてこの物語にはそもそもキリスト教的な影響もあると思います。

THE YELLOW MONKEY「砂の塔」の歌詞に隠された意味は?MVに登場する坂ノ上茜が...!の画像

THE YELLOW MONKEYの新録ベストアルバム

THE YELLOW MONKEYの解散の原因となったライブ

吉井和哉は解散の理由に最初のフジロックフェスティバルでの受け入れられなさがどれくらいかはあったかもしれないと語っていたそうです。

当時はオルタナティヴ、パンクロックが若者の間で全盛期を迎えており、THE YELLOW MONKEYのグラムロックと歌謡の融合はコアな音楽ユーザーにとっては受け入れられていなかったということがあるようです。

では、そんな栄光も破滅も味わった吉井が、時を経て復活し、感じていることは何だったのでしょうか?

THE YELLOW MONKEY復活曲『砂の塔』

まずは彼らの復活曲でもある『砂の塔』のMVをみてほしいと思います。

THE YELLOW MONKEY『砂の塔』

キャバレーのような、あるいはデビッド・リンチの表現世界とも通じるような赤いカーテンの前で演奏するイエモン。

それをみつめるひとりの少女がいます。この少女を坂ノ上茜が演じています。その少女は赤い紐のようなもので片手首を縛られています。この赤い紐はどこへ繋がっているかわかりません。ひょっとすると少女自身を縛るものなのかもしれません。

この坂ノ上茜が演じる少女は、思春期の少女を代表している存在でしょう。

この少女はずっと無表情でTHE YELLOW MONKEYをみつめていますが、彼女は彼女自身を縛る赤いバンドをふりほどいて舞台から逃げます。でも赤いバンドはどこまでも彼女を縛っています。 彼女はその赤い紐をナイフで断ち切ります。そして逃げていきます。

でもナイフで切っても、その紐はどこまでも繋がっているのです。 彼女はビルの屋上に立ち、そこでもう一度、その赤いバンドにナイフをあてます。 そしてその赤いバンドを断ち切ります。 そこで本物の血が流れてこのMVは終わります。

彼女は死んでしまったのでしょうか? それはみるものに委ねられています。

しかし筆者はひとりの少女の自立の物語としてとらえました。でもその自立の物語には本物の血が流されているのでしょう。 そう考えます。