「天体観測」では、恋人と一緒に同じ方向=天体を見ていた自分たちを思い出しています。それは「記念撮影」よりずっと近く、まだリアルな過去。
だからこそ、最後で「もう一度君に逢おうと望遠鏡をかついで」出かけていきます。
一方でこの「記念撮影」でも、過去の光景は非常に鮮やかに伝わります。でもそれは「天体観測」よりは距離を感じさせる過去。
天体観測は、同じものを2人で見るもので2人の姿は残りません。
「記念撮影」も同じように同じカメラを同じ方向に見るのですが、こちらは写真という形で2人の姿は鮮やかに残ります。
固まってまったシャッター レンズの前で並んで
とても楽しくて ずるくて あまりに眩しかった
出典: https://www.uta-net.com/song/232187/
終わる魔法の中にいる
青春の脆さ、儚さを歌いながら愛がある
藤原基央の透き通った無機質な声は、ともすれば冷たい印象を受けるタイプの声質。
でも、どこか、ランプの炎のようにそっと明るく、またほのかな暖かさを感じさせてくれる不思議な声質だと私は思っています。
決して冷たく感じないのは、その歌詞の深さから来るのでしょうか。
サビもそんな彼の声が響きます。
ねえ きっと
迷子のままでも大丈夫 僕らはどこへでもいけると思う
君は知っていた 僕も気付いてた 終わる魔法の中にいたこと
出典: https://www.uta-net.com/song/232187/
「僕らは終わる魔法の中にいた」青春を藤原基央はそう歌います。
大人になって知ったいろいろなことから、青春=終わる魔法だというわけです。
こういう表現は突き放した冷たいイメージになりそうなのですが、なぜか彼の歌詞には、それだけではない何かが感じられるのです。
ポジティブな香りを失わない
想像じゃない未来に立って 僕だけの昨日が積み重なっても
その昨日の下の 変わらない景色の中から ここまで繋がっている
迷子のままでも大丈夫 僕らはどこへでもいけると思う
君は笑ってた 僕だってそうだった 終わる魔法の外に向けて
今 僕がいる未来に向けて
出典: https://www.uta-net.com/song/232187/
この部分はこの歌のラストになります。
今、僕は「想像じゃない未来」にいます。記念撮影をした時点では想像もしなかった未来に1人でいる。
でもそれは予期しないことではあったとしても、あの時から繋がっているんだと彼は歌います。
「僕だけの昨日が積み重なって」というだけで、彼女と別れたであろう過去と今までを想像させてしまうのはまさに藤原節。
知的な言葉を巧みに使うのが本当に上手いです。
そして「僕らはどこへでもいけると思う」というセリフは、とても深い意味を持つと思います。
写真の中で微笑む君と自分は、写真を見れば、もちろん今の自分に向かって微笑んでいる。
未来の自分=終わらない魔法の外にいる自分に向かって微笑んでいるということです。
記念撮影をしたとき、これを見る自分がどうなっているかはわからずに微笑んでいたけれど、それがそのことが、実は「どこへでもいける」ということだというわけです。
未来は誰も予期できないからこそ、どこへでもいける。「終わらない魔法」という言葉と合わせて、とても哲学的な一節だと私は思います。
詩人としての高い才能
BUMP OF CHICKEN藤原基央が作り出す楽曲は、そのメロディーも歌詞も他には真似の出来ないオリジナリティあふれるものです。
これだけ長く活動を続けていると、消耗して風化するということが多々あるはずなのですが、彼らはそんなところを微塵も感じさせません。
これからも彼らの活動を楽しみにしていきたいと思います。
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