正解を導くものとは
でも もういない
正解がわからない
出典: 歌よ/作詞:中村佳穂 作曲:Ludvig Forssell
いないと想像することが嫌な、大切である存在は、自分のそばにいません。
いないことを理解しているから、想像したくないと表現しているのです。
想像したくないほど嫌な現実で、目をそらしたい。
でも、本当はいないことを分かっているし、理解もしていることを感じさせます。
そこには、いないことを認めたくない悲しさが聞こえてくるのです。
その存在には、自分を導いてくれる力があり、頼りにしていて、今まで導いてもらった。
だから、いなくなってしまった今、どうしたらいいか分からない。
そんな悲しみと絶望を表現しています。
これからどうすればいいのか、正解がわからないのです。
例えば信じてついていく存在、親や師匠など、今まで頼りにしていた存在がいない。
そんなとき、どうするでしょう。
誰もが路頭に迷うのではないでしょうか。
そんな、途方に暮れた感情が表現されているリリックといえます。
明日が来てほしくない?
私以外うまくいっているみたい
それでも 明日はくるのでしょう…
歌よ導いて!
出典: 歌よ/作詞:中村佳穂 作曲:Ludvig Forssell
正解が分からないから、どうしたらいいか分からず途方に暮れています。
でも、そんな私以外は違うよう。
私以外の人達は、そんな不安な様子が見えません。
なんだかむしろ上手く生活しているようにも見えています。
周りだけが上手くいっていて、自分は正解が分からず途方に暮れている。
そんな状況だけど、でも明日は来るということだけは理解しています。
こんなに悲しいのに、明日が来る。
もう、どちらを向いて良いのか分からないし、進み方も分かりません。
でも明日に向かって歩かなければならない。
こんな途方に暮れた環境にいる私、どうぞ「歌よ導いて」くださいと懇願しているのです。
「歌」が「私」にとって、キーワードになっているともいえます。
「歌」に助けを求めるということは、そこに何らかの頼りになるポイントがあるということ。
例えば失ってしまった大切な存在との関係など。
だから「歌」に寄りすがっています。
そのため「私」は、「歌」に懇願するのです。
「歌よ」、途方に暮れる「私」を導いてほしい。
そう願っているのでしょう。
私以外が幸せに見える
他人が羨ましく感じている
嫌になる みんな 幸せなの?
愛してる人がいるの?
出典: 歌よ/作詞:中村佳穂 作曲:Ludvig Forssell
導いてくれる人もなく、途方に暮れている「私」は嫌になっています。
全てが嫌になっているのです。
他人をうらやむ自分も、他人と比較してしまう自分も、そして幸せそうな他人も。
それら全てが嫌になって、半ば自暴自棄な気持ちを抱えています。
みんなが「幸せ」そうに見える。
自分にばかり不幸が訪れていて、みんなにはそんな苦労がやってこない。
大切な人、愛する人はみんなには存在しているのに、自分にはいない。
どうして、みんなばかりが「幸せ」なのか。
そんな自分の心の中にある黒い感情を、爆発させている状態です。
ひとりを不安に感じる
こうしてひとりでいると不安になる
歌よ 導いて!
どんなことが起きても良い!!
出典: 歌よ/作詞:中村佳穂 作曲:Ludvig Forssell
黒い感情のままでいると、その感情に心が取り込まれそうになるものです。
黒い感情とは、他人をうらやみ妬み、自分の環境を卑下すること。
そして自分ばかりが不幸と、悪い感情ばかりを先行させてしまうことです。
このリリックでは、先ほど爆発させた感情を抑えようとしています。
「ひとりでいると不安になる」ほど、心が黒い感情に飲み込まれている。
そんなマイナスな感情に心が取り込まれ、不安から抜け出せなくなってしまう。
しかし、一方でそれではダメだとも思っているのでしょう。
不安な気持ちにとりこまれたくないからこそ、このように表現しているともいえます。
このままではダメだと思った「私」は、「歌」に救いを求める。
ひとりでいると不安になるから「導いて」ほしいと願っているのです。
「歌」にどんな力があるのか、ということだけではありません。
「歌」がポイントとなるということでもあります。
それは「歌」を通して、大切な存在に向けて懇願しているのでしょう。
どんなことになってもいい、「私を」一人にしないで。
そう叫んでいる心の様が表現されたリリックといえます。
歌に導かれる未来
歌よ傍にいて
愛よ近づいて
出典: 歌よ/作詞:中村佳穂 作曲:Ludvig Forssell