ファンやリスナーの言葉を大事にする
明日の朝 目が覚めたときに すべてが嘘になってしまわない様に
焼ける喉に張り付いた欠片 君の言葉を大切に抱きしめるよ
出典: 君の隣/作詞:AIKO 作曲:AIKO
まだ夜は明けていません。
夜の闇の中で明日の朝のことを考えます。
まだ目覚めない夢の中のようなひとときを生きているのです。
aikoはステージで客席のオーディエンスから何か言葉を募ることがあります。
受け止めた言葉のいくつかをそのまま歌詞に採用して即興で歌にするのです。
君の言葉を喉に貼り付けるとはこうしたライブでのファンとの交流を指しているのでしょう。
素敵なラインなのでそのまま直喩で楽しむこともできます。
それでも歌詞には裏面があるものです。
「君の隣」にaikoが仕掛けた演出はこうした事情を含むものでした。
それほどまでに彼女がファンとの交流を大切にして歌詞を紡いだことを読み込みましょう。
多くの心あるアーティストは常にファンのことを第一に考えているものです。
aikoもそうした心あるアーティストの代表格でしょう。
ステージという刹那な空間
ライブの始まりと終わりに思うこと
始まりの音が 心掻き乱し戸惑い
終わりの音よ 聞こえないでと耳を塞いだ
出典: 君の隣/作詞:AIKO 作曲:AIKO
アーティストのライブに参加したことがある方はすべて納得していただけるようなラインです。
ステージに登場したアーティストの神々しさに心を奪われた瞬間。
最初の曲の最初の一撃に興奮しながら胸を一杯にする経験。
この楽しく感動的な時間がいつまでも続いて欲しいと願う思い。
しかし無情にも会場の事情で最後に音を鳴らすことができる時間は予め決まっているものです。
楽しかったライブが終わってしまうことがどうにも耐えられない。
終わりの一音が悲しすぎて耳を塞ぎたくなる想いを抱えます。
アーティストとのリアルでの接触はライブくらいしか機会がないものです。
夢のような時間はいつまでも続く訳ではありません。
ライブいうものはあまりに刹那なものなのです。
しかし刹那だからこそその稀少性がかけがえのないものになります。
aikoはステージに立つアーティストとしてではなく、自身も誰かのライブに胸を焦がした想いを振り返る。
あの胸のときめきを自分のファンたちにも感じてもらえていたら嬉しい。
どこまでもファンの気持ちに立って「君の隣」の歌詞を綴ります。
ファンとの関係は1:1
他者を気遣う気持ちが滲む
両膝にこの手をついて下を向いてしまったら
もう君を見つけられない様な気がして
空駈ける帚星を見上げ願う ねぇこのままそばにいて
出典: 君の隣/作詞:AIKO 作曲:AIKO
ライブの最中はオーディエンスすべてを愛しているだろうaikoの心情が透けます。
彼女は「大勢のファン」と対峙しているのではないのです。
ファンと自分はあくまでも1:1で向かい合っていると考えています。
ひとりひとりのファンと1:1で歌を届けているというaikoの想い。
様々なアーティストがいますがこれほどにファンのことを想い続けているのは稀な例かもしれません。
aikoのリスナーはファン冥利に尽きるといえるでしょう。
1:1を意識するからこそ間に横たわる距離を意識するのです。
まるで恋愛ソングのように「君の隣」にいることにこだわります。
「君の隣」はそのままラブソングとしても読み取ることができます。
ただ、それだけではどこか道理が合わないのは君の人物像が「誰にでも当てはまる」ことでしょう。
aikoはすべてのファンに届くように君の人物像をあえてフレキシブルにします。
君と名指された私たちリスナーは自分の姿や想いをこの人物に投影できるのです。
aikoの楽曲にしては素直なコード進行であることは触れました。
しかし歌詞の方はかなり高度な描写をしているのです。
作詞を先にするというaiko。
歌詞を紡いでいるうちに誰にでも歌いやすいメロディやコード進行にしたいと思ったのかもしれません。
彼女にとって何よりも大事にしているファンのための贈り物としてこの曲を描き下ろしました。
「君の隣」すべてにファンを、あるいは他者を気遣うaikoの心模様が滲み出てくるのです。
「君の隣」で愛を歌う
ファンがいるからシンガーでいられる
枯れずに咲いて自惚れ愛して泣き濡れ刻もう
螺旋描いて渦に潜って二人になれたら
いつだって君が好きだと小さく呟けば
傷跡も消えて行くの もう痛くない
雨が止み光射すあの瞬間に
ねぇ 隣で歌わせて
出典: 君の隣/作詞:AIKO 作曲:AIKO
早々とクライマックスです。
リフレインの箇所になりますが大事なところですので改めて読み解きましょう。
アーティストには少しの自惚れが必要なのだとaikoは歌います。
人前に立つためにはどこかそうした性格がないと自信を保てません。
いつだって自分のためにファンのために枯れずにいる心持ちも歌われます。
彼女のアーティストとしての心構えのようなものが列挙されているのです。
普通のラブソングとしてだけ読むとどこかおかしく思える箇所。
しかしファンに対してのもっと大きな愛を歌ったラブソングだと気付けると素直に読み解けます。
大勢のファンを抱える彼女ですが、常に1:1で真剣にファンの気持ちに寄り添おうとするのです。
ファンを愛して、ファンに愛されていることを自覚して口にすると思いがけない力が湧いてくる。
自分の些細な心の傷などが癒えてしまうと歌います。
アーティスト自身が病んでしまったならば他者を救うような歌に説得力がなくなるもの。
彼女はそのことをいつも気にかけて自分のケアに努めます。
「雨」や「雷」は遠く離れて不安な夜に起きたアクシデントです。
しかしその「雨」も「雷」も今はやみました。
雲間から月光や星の光が漏れてくる夜。
彼女は愛すべき「君の隣」で歌いたいと祈るのです。
シンガーというものの存在意義はいつだってリスナーを前提とします。
ファンやリスナーがいなければ歌う意味などなくなってしまう。
それどころか自分の存在意義すら見失ってしまうのです。
アーティストという存在はその点でデモーニッシュな特性を免れません。
しかし善意から誰かを救いたいという想いは大切なものです。
この気持ちを否定してしまったならばこの世から歌は消えます。
さらに人と人をつなぐツールをなくした私たちは相互理解の術を失うでしょう。
今は遠くにいるけれどもこの夜を乗り越えるために「君の隣」で歌いたい。
Aikoの素直な気持ちを私たちリスナーは正面から受け止めるだけです。
彼女から届けられた手紙のような楽曲「君の隣」。
aikoの歌に耳を澄ませてきたファンへの贈り物。
誰よりも何よりも大切にしている人たちが「雨」や「雷」が通り過ぎる夜に無事であるために。
彼女は全身全霊を傾けて祈るように歌い切るのです。
慈愛の心というものの本質がたくさん詰まった「君の隣」。
私たちは「aikoの隣」で耳を澄ませて彼女の想いを受け止めます。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。