amazarashi「命にふさわしい」とは?
「命にふさわしい」(いのちにふさわしい)は、2017年2月22日に発売された、amazarashiの3作目のシングルです。
この楽曲は、2017年2月23日に発売された、PlayStation 4用ソフト『NieR:Automata』のコラボレーション作品として書き下ろされました。
もともとゲーマーであり、前作の『NieR Replicant/Gestalt』からファンだったというボーカルの秋田ひろむさんは、嬉しい機会だったと以前のインタビューで語っていました。
通常盤と初回生産限定盤の2種類が発売され、初回盤にはDVD、オリジナル絵本のほか、同ゲーム内で使用できる「ポッドスキン:amazarashiヘッド」のプロダクトコードが付属したことでも話題になりました。
ショッキングすぎるPV!命のないものだからってこんなことしていいの...!?
人形がドリルで打ち砕かれていく映像は、人形とは言え、ショッキングで心が痛みますよね。
これには、秋田さんのゲームの世界で「痛い」と感じる事はヴァーチャルではなく現実そのものかもしれないという考えと、コラボレーションをしたゲーム『NieR:Automata』の世界観が関係していることが理由と考えられます。
『NieR:Automata』の物語は、異星人の侵略によって月へと追われた人類が地球の奪還を目指して製造したアンドロイド兵士「2B」らと、異星人が製造した兵器「機械生命体」との戦いを描いています。
そんなアンドロイドと機械生命体の戦いを描いたこのゲームのTVCMでのキャッチコピーは「命もないのに、殺しあう。」です。
つまり、ゲームの中だとなんの躊躇もなく殺戮が行われていいのか?命のない機械同士の戦いならばどんなに残酷でもいいのか?と問いかける目的で、命のない人形たちに対して無残な扱いをする映像が繰り返されているMVにしたのでしょう。
ただ嫌悪感を煽って、注目を浴びるためのものではないと知れば、残酷で見られなかったという方も見ることができるのではないでしょうか。
amazarashi「命にふさわしい」の歌詞解釈
命とは何か?「その汚れた顔こそ命にふさわしい」とは?
好きな人ができた 確かに触れ合った
アスファルトより土 鋼鉄より人肌
無意識に選ぶのが 冷たさより温みなら その汚れた顔こそ 命にふさわしい
身の程知らずと ののしった奴らの
身の程知らなさを 散々歌うのだ
前に進む為に 理由が必要なら
怒りであれなんであれ 命にふさわしい
出典: https://twitter.com/akitahiromubot/status/825264170434048000
「好きな人ができた」、そして、その人が確かにいる証は「触れ合った」こと。
その感覚はわかるのではないでしょうか。
しかし、人は触れ合うことによって何を確認しているのか?体温、匂い、触感?
そもそも、何によって好きと感じるのか、何が命なのかと根源的な質問を少ない言葉の中に込めて問いかけて来ます。
そのヒントとなるのが、「アスファルトより土 鋼鉄より人肌」と無意識に選ぶのが「冷たさより温み」なら「汚れた顔こそ命にふさわしい」という歌詞で、全く汚れない命は命ではないのではないかということ、そして、もっと身近な話にするなら、人形のような無機質さを求めるメイクが流行る現代に、人間らしさを思い出させる歌詞とも言えます。
全てが報われる日を信じていた
こぼれた涙を蒸発させる為に 陽が照る朝を
飽きもせず こりもせず 待っている 待っている
全部を無駄にした日から 僕は虎視眈々と描いてた
全部が報われる朝を
出典: https://twitter.com/92kk_amz350/status/824927867146424320
どんなに辛くても、いつか「こぼれた涙を蒸発させる為に 陽が照る朝」が来ると信じて、待っているという歌詞。
「全部を無駄にした日」という歌詞は、歌詞全体の意味を見ていくと、大切な人を失った日のようにも解釈できます。
大切な人を失って、今まで生きてきた意味も、これから生きていく意味も全て「無駄」になってしまっても、「全部が報われる朝」が来る日を描いている「僕」の姿が描かれた歌詞です。
心を失いたくなったのは、世界を滅ぼしてもいいと思えるくらい大切な人を失った時
世界を滅ぼすに値する その温もりは
二人になれなかった 孤独と孤独では
道すがら何があった? 傷ついて笑うその癖は
そんなに悲しむことなんて無かったのにな
心さえなかったなら
出典: https://twitter.com/crymsonMM/status/845999068258091009
この部分に出て来る「温もり」とは、歌詞の最初に出てきた「好きな人」と触れ合った時の「温もり」なのでしょう。
世界を滅ぼしてもいいと思えるくらい大切な人。
しかし、最後まで「二人」になれず、一人と一人という関係のままだったことがわかります。
そして、その人を失って「心さえなかったなら」「そんなに悲しむことなんて無かったのに」と、「僕」は心を失うことを望んだのでした。
心があるから悲しみを感じ、こんなに悲しいなら心がなければよかったと思う、愚かしく、愛しい人間らしさが表現されている歌詞ですね。
冒頭に出てきた汚れないなら命ではないという意味の歌詞の解釈にもつながりますが、傷つくからこそ「命にふさわしい」という風にも解釈できますね。