故郷へ向かう最終に
乗れる人は急ぎなさいと
優しい優しい声の駅長が街なかに叫ぶ
振り向けば空色の汽車は
今ドアが閉まりかけて
灯りともる窓の中では帰り人が笑う
走り出せば間に合うだろう
飾り荷物を投げ捨てて
街に 街に挨拶を
振り向けばドアは閉まる

出典: ホームにて/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき

「ホームにて」がリリースされた1970年代はまだ、盆暮れ正月の帰省ラッシュでは今以上に駅のホームが大混雑していました。

昨今のように休みや帰省をズラして、なんてことはなかったのです。

今でこそ電車、高速バス、飛行機、自家用車といった交通インフラが充実していますが、当時はまだ汽車が主流でした。

この歌詞からは、地方出身者が田舎に上野駅から帰省するシーンが浮かびます。

乗る人は急ぎなさい。

なんて、駅のホームでそんな優しい言葉を投げかける駅員さんはいませんね。

古き良き、懐かしい時代を象徴したフレーズです。

一刻も早く帰りたい!

年に2回の帰省の日

1番の歌詞をさらに細かく読み込んでみましょう。

1970年代。日本は高度経済成長期の真っただ中で多くの労働者が都会に集まっていました。

東京でのオリンピックも終わって街の再整備に大忙しだったのです。

高速道路の建設。鉄道の延伸。高層ビルの建設。

大都会には人手が絶えず不足していた時代でした。

よって地方から多くの労働者が大都会・東京に押し寄せました。

彼らは日夜、働いて現在の東京の礎を作ったのです。

ただ、当時に今のような労働基準法はまだ機能していません。

残業は当たり前。朝早くから夜遅くまで、主人公たちは労働に汗を流したのです。

そして当時の世に手軽に連絡を取り合える手段はまだありません。

公衆電話を使えばあっという間に10円玉がなくなります。

声を聞きたい。しかし、贅沢はいけない。我慢、我慢の毎日だったのです。

だから、年に2回の帰省の日は心がものすごく華やかになったのでした。

両親の笑顔を見たい!声を聞きたい!

1番の歌詞はこれから汽車に乗って各々のふるさとへ帰る人々の心の嬉しさをストレートに表現しています。

勿論、主人公も同じ。

汽車の乗客は知らない人ばかりなのに妙に親近感がわいてくるのです。

こんな感激、都会で働いていた時には起こらない感情でしょう。

皆、口には出さなくてもふるさとに帰れる喜びで胸がいっぱいなのでした。

なんだか汽車の色がふるさとの空を思わせる真っ青なブルーにみえてきそうです。

最終の汽車だから色が分かるはずもないのに。

それくらい気分は高揚して、見るもの聞くもの全てが「ハッピー」なのです。

早く帰って両親や兄弟たちの笑顔を見たい!声を聞きたい!

もしかした感激極まって泣いてしまうかもわからない。

でもそれはその時。

お土産も準備万端。忘れ物は何もないはず。

主人公の気持ちは汽車の出発の合図を待ちきれないのでした。

ふるさとへ帰る喜び

振り向けば 空色の汽車は
いまドアが 閉まりかけて
灯りともる 窓の中では 帰りびとが笑う
ふるさとは 走り続けたホームの果て
叩き続けた 窓ガラスの果て
そして 手のひらに残るのは
白い煙と乗車券

出典: ホームにて/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき

乗客を乗せた汽車が走り出しました。

車内にはふるさとへ帰る喜びを隠しきれない、満面の笑顔を浮かべた人たちが大勢います。

走り続けたホームの果て、叩き続けた窓ガラスの果て

ふるさとがどんなに遠いところかを、絶妙な比喩で表現しているのです。

心の拠り所、それは空色のキップ

涙の数 ため息の数
溜まっていく
空色のキップ
ネオンライトでは燃やせない
ふるさと行きの乗車券

出典: ホームにて/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき

都会の生活は決して楽ではありません。

辛いこと、哀しいこと、涙を流すこと、ため息をつくことがたくさんあります。

そんな辛い、哀しい気持ちは都会のネオンでは燃やせないのです。ふるさと行きの乗車券がそんな負の気持ち、負の心を浄化してくれます。

心の拠り所、それは空色の汽車

たそがれには 彷徨う街に
心は 今夜も ホームにたたずんでいる
ネオンライトでは 燃やせない
ふるさと行きの乗車券
ネオンライトでは 燃やせない
ふるさと行きの乗車券

出典: ホームにて/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき

「ホームにて」の歌詞に登場する空色の汽車空色のキップは何を象徴しているのでしょう。空色は都会では見ることができないふるさとの空のことです。

人々の疲れた心は駅のホームに残されています。空色の汽車に乗った乗客たちは、空色のキップを手に愛する人が待つふるさとへ向かうのです。

心をほっこりさせてくれる名曲

都会の暮らしは挫折の連続