基本情報とおすすめ歌詞ポイント
2010年にリリースされた「モーターサイクル」はBUMP OF CHICKENの通算18作目のシングル作品です。
タイトルである“モーターサイクル”とはモーターのついているサイクルということで、自動二輪、すなわちオートバイを指します。
同じようにモーターで動く乗り物なら、自動車などもありますが、なぜこの楽曲のタイトルとオートバイである“モーターサイクル”にしたのか、筆者は次のように感じます。
この楽曲の歌詞を読んでいると何となく感じることですが、自動車はどことなく“乗り込んで車のボディに守られている”安心感があるように思えるんですね。
一方でオートバイは自分の体と乗り物はほぼ一体化していて、少しのハンドルミスが致命傷になりますし、自分の体を守ってくれるボディもありません。
こうしたことから、現代人は自力だけでは出せないようなスピードが出せるの乗り物に“乗って運転している”ように思えます。
しかし実は“乗らされて”さらに“日々危ない橋を渡っている”と言いたいのだと感じます。
わざわざ終わらせなくていい どうせ自動で最期は来るでしょう
その時を考えても意味が無い 借りてきた答えしか出てこない
現実派気取りじゃないなら どんな時間が無駄か解るでしょう
死んだ魚の目って言われても 心臓はまだ脈を打つ
出典: モーターサイクル/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
四の五の言わず飯食えよ 人の振り見て人にはなれんよ
気にする程見られてもいないよ 生まれたらどうにか生き抜いて
周りが馬鹿に見えるなら 生き難いなんて事もないでしょう
死んだ魚の目を笑う奴に 今更躓く事もないでしょう
出典: モーターサイクル/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
先ほど、モーターサイクルをタイトルにつけた理由を筆者の考えをもとに記しました。
これに加えて思うのは、モーターサイクルというのは“自動で回っていく日常”も指していると思えます。
“どうせ自動で最期は来るでしょう”とか“四の五の言わず飯食えよ”なんて部分は、私たちの日常がどんなに自力で抗ったところでどうにもならないと言われている気がします。
日々や日常の根底を流れる大きな河は、きっと人間などが左右することができるようなものではありません。
だから、ジタバタせずに大きな流れに身を任せるのもいいんじゃない?と言われているように思えます。
「死んだ魚の目」というインパクトのあるフレーズ。
人生に退屈して疲れ、鬱屈したような気持ち…。
それを伝えながらも、脈打つ心臓や前へ進む足を思う。
思う通りにいかないことばかりでも決してひねくれたままでは終わらない。
ひねくれた感情すらエネルギーにして、前へ前へと歩き出す。
そんなネガティブとポジティブのバランスは、まさにBUMP節といえそうです。
今の自分はダメかもしれない。
弱くて格好悪い、情けない姿をしているかもしれない。
けれど、それは裏を返せばここからいくらでも前に進めるということ。
受け入れて開き直ればどこまでも強くなれます。
弱いようでいて強い、そんなBUMPの魅力が伝わってくる1曲です。
5位:宇宙飛行士への手紙
基本情報とおすすめ歌詞ポイント
2010年、BUMP OF CHICKENの通算18枚目となるシングル作品になった「宇宙飛行士への手紙」。
この作品は「モーターサイクル」との両A面シングルでBUMP OF CHICKENとしては初めて、オリコンチャートで3作連続初登場1位を獲得した作品でもあります。
またこの作品はApple社の主催する“iTunes Rewind 2010”のロック部門でベストソング賞を受賞しています。
おすすめ歌詞その1がこちら。
出来るだけ離れないで いたいと願うのは
出会う前の君に 僕は絶対出会えないから
今もいつか過去になって 取り戻せなくなるから
それが未来の 今のうちに ちゃんと取り戻しておきたいから
出典: 宇宙飛行士への手紙/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
おすすめ歌詞その2がこちらです。
出来るだけ離れないで いたいと願うのは
出会う前の傷を 僕にそっと見せてくれたから
死ぬまでなんて嘘みたいな事を 本気で思うのは
生きようとして 生き抜いた 稲妻を一緒に見られたから
出典: 宇宙飛行士への手紙/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
この歌詞で筆者が秀逸だなぁと思うのは、上記でご紹介している歌詞の中で特に“今もいつか過去になって~ちゃんと取り戻しておきたいから”の部分です。
今という瞬間を精一杯生きようというのは色々なところで耳にする言葉です。でも、この言葉だけ聞いてもなかなか実感って沸きにくいんですよね。
でも“今もいつか過去になる”から“今が過去から見て未来だったうちに、取り戻せなくなる前に、しっかりと自分たちの手の中に掴んでおこう”という言葉には実感を得られます。
また稲妻について“生きようとして生き抜いた”という表現を使うのはさすがだなぁと感じます。
何かが生まれて旅立つまでの瞬間を共有したからこそ、隣りにいる君とも、一生を分かち合いたいというのは本当に詩的な表現で素敵ですね。