『愛のうた』とはどんな曲?

六道寺恵梨さんがレーシングドライバーの三浦愛選手に捧げた楽曲

【愛のうた/六道寺恵梨】レーシングドライバー・三浦愛選手公認応援ソングの歌詞を解説の画像

一言でいうと熱い応援歌であります。

また若干癒されるフレーズが垣間見えるのです。

歌詞は応援歌の色合いが確かに濃いと感じられるかもしれません。

それと共に陰ながらの三浦愛選手の努力を称えているようにも感じられるでしょう。

それは三浦愛選手の努力を見てきた人にしか書けない歌詞なのです。

しかし曲調は「頑張れ、頑張れ」といった体育会系一辺倒ではありません。

案外ゆったりとしたテンポ、バラードに近いものです。

2017年3月にリリースされましたが、限られた場所でしか手にすることはできません。

その事実は三浦愛選手や六道寺恵梨さんのファンには少し残念に感じられるでしょう。

限られた場所というのは、六道寺恵梨さんのライブ会場や三浦愛選手のレース会場のことです。

そのことがこの歌の知名度をあまり高くしていない要因でもあります。

CDを入手したければ事前に『愛のうた』が販売されるのか、調べて早めに会場に赴かなければなりません。

売られるCDの枚数もさほど多くなく売り切れたら入手困難であり、それほどプレミアなのです。

この記事では『愛のうた』がなにゆえ三浦愛選手への応援ソングなのかを解剖してゆきたいと思います。

三浦愛選手に感化された六道寺恵梨さん

三浦愛選手の人知れないところでの努力

【愛のうた/六道寺恵梨】レーシングドライバー・三浦愛選手公認応援ソングの歌詞を解説の画像

なぜ『愛のうた』がレーシングドライバーの公認応援ソングになったのでしょうか。

これはあくまで推測の域を出ません。

しかし実は2009年からわずかの間、六道寺恵梨さんはレースクイーンであったのです。

そのことが関係して、この歌を作らせたのではないかと想像できます。

レース会場で三浦愛選手の愚直なまでのドライビングと練習風景を目の当たりにしました。

六道寺恵梨さんは胸に突き刺さる衝動を受けたのではないでしょうか。

そうです三浦愛選手に感化されたのかもしれません。

この歌は作詞も作曲も連名です。

作詞、六道寺恵梨/栗原将輝、作曲、栗原将輝/六道寺恵梨となっています。

最初に名前が載っている作者がより貢献度が高い可能性は高いです。

作詞に大きく貢献したのは六道寺恵梨さんということになるかもしれません。

それだけ六道寺恵梨さんの想いが強かったのが想像できます。

冒頭から三浦愛選手を尊敬している歌詞のフレーズ

尊敬の念が溢れている

【愛のうた/六道寺恵梨】レーシングドライバー・三浦愛選手公認応援ソングの歌詞を解説の画像

残念ながらいくら調べても、2人の接点となる友情関係は分かりませんでした。

心の友といってもよいのではないでしょうか。

あるいはプライベートで仲良くおしゃべりをしている関係なのかもしれません。

そして六道寺恵梨さんは三浦愛選手を尊敬していたことは確実です。

そんなフレーズが『愛のうた』にふんだんにちりばめられています。

誰も見てないときもその場所一人頑張っていた

出典: 愛のうた/作詞:六道寺恵梨・栗原将輝 作曲:栗原将輝・六道寺恵梨

その場所一人頑張っていた=人知れず自分が勝つために愚直なまで努力をしていた

このフレーズは身近で三浦愛選手をじっくりと観察できる者でしか語れない歌詞です。

ある意味特権であり、またその苦しさや辛さを共有する者にしか作詞できません。

いつも弱音だって吐かないで
抱えて走りだす君は眩しかった

出典: 愛のうた/作詞:六道寺恵梨・栗原将輝 作曲:栗原将輝・六道寺恵梨

いつも弱音を吐かない強い心。

でも三浦選手だって一人苦しんで泣いた夜もあるでしょう。

弱音だって吐きたくなるに違いありません。

でも弱音を人前では絶対吐かなかったのです。

 

「抱えて」は様々なものを抱えていたんだと思います。

家族、親族、友人、仲間などなど、挙げたらキリがないです。

そしてやはり六道寺恵梨さんには眩しく映ったのに違いありません。

応援歌

六道寺恵梨さんには弱気になる三浦愛選手の姿がわかるのです

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君だけにしかわからない苦しみだってあったよね
いくつもの山を越えてきた、大丈夫

出典: 愛のうた/作詞:六道寺恵梨・栗原将輝 作曲:栗原将輝・六道寺恵梨