思い出と共に、自分の身体を焼いて欲しいと願った主人公。
次に大切な人へと託したのは、遺骨を海に埋葬して欲しいという願いでした。
このように遺骨を海や山などに撒くことを、散骨といいます。
実は、日本には散骨についての明確なガイドラインや法律は存在していません。
禁止区域以外で、粉骨されていれば原則OK。
海や山などに散骨することで、大地に自らの命を還したい…。
そんな想いから、主人公のように散骨を望む人も存在しているのです。
終わりを悲しまないで
死の定義とは
例えば何かがあって
意識さえ無い病人になって
あなたの口づけでも
目覚めないなら お願いよ。
出典: 遺書。/作詞:こっこ 作曲:成田忍
人間の死。そこには二つの定義があります。
少し前までは心臓の鼓動と呼吸が止まり、瞳孔が開けば、それを「死」として扱っていました。
しかし、臓器移植という技術が出来てからは、それまでの「死」の定義が通用しなくなったのです。
事故や病気などによっては脳の機能が停止することがあります。
延命処置を施さなければ、そのまま死に至ってしまう「脳死」。
ここの歌詞では、この「脳死」の状態になった時に、どうして欲しいかが想像されています。
大切な人の胸で穏やかに
その腕で終わらせて
そらさずに最後の顔 焼き付けて
見開いた目を 優しく伏せて。
出典: 遺書。/作詞:こっこ 作曲:成田忍
もし自分が「脳死」の状態になったら…。
主人公が願ったのは、大切な人の腕で穏やかに逝きたいということでした。
きっとそれは自分だけではなく、自分を愛してくれている大切な人のためでもあるのでしょう。
最期の姿を見せるということは、相手にショックを与えます。
しかし、同時にきちんと心の整理をつけるためにも必要な瞬間です。
大切な人にきちんと「さようなら」を言えたら、悲しくても後悔することはありません。
だからこそ、主人公はこのような最期を望むのです。
私を忘れてもいいから
一年に一度は
いつか誰かまた求めるはず。
愛されるはず。
そうなったら幸せでいて。
だけど、私の誕生日だけは
独り、あの丘で泣いて。
裸のまま泳いだ海。
私を 想って。
出典: 遺書。/作詞:こっこ 作曲:成田忍
ここまで、主人公が最期に願うことをまとめます。
- 思い出と共に灰になるまで焼いて欲しい
- 遺骨を海へと撒いて欲しい
- もう目覚めることがないならば、大切な人の手で終わりにして欲しい
- 最期は大切な人の腕で眠りたい
これらは、大切な人のために願ったことなのではないでしょうか。
歌詞では自分のことを普段は忘れてもらっても構わないといっています。
大切な人に後悔の念を一生抱えて欲しくない。
自分を想って、他の誰かを愛せないようにはなって欲しくない。
だから、自分との思い出が一つも残らないようにして燃やしてくれといっているのです。
また、自分が「脳死」状態になったら、いつまでも起きることを期待して欲しくなかったのでしょう。
そんな相手を真摯に想う気持ちに胸が苦しくなるようです。
しかし、そこには条件があり、それが本当に主人公の最後のお願い。
「一年に一度だけは自分のことを思い出して欲しい」
そんな風に、主人公は終わりを迎えたいのです。
おわりに
みなさんも最期の瞬間をどう過ごしたいかについて考えることができたでしょうか?
現代では「終活」という、自分がどう命を終えるか真剣に準備しておく活動があります。
今や、年齢に関係なく自分の死に向き合う時代。
特に大切な人がいる方は、考えさせられるテーマだったのではないでしょうか。
楽曲の主人公のように、最期について考えることは決して後ろ向きなことではありません。
むしろ最期を考えることで、「自分らしさとは何か」についても見えてくることがあります。
ぜひ、自分自身と対話して最期について考えてみてくださいね。
Coccoの独特な世界観を堪能しよう!
今回ご紹介した【遺書。】をはじめ、ほとんどの楽曲をCoccoが「こっこ」という名前で作詞を担当。
どの楽曲にも、彼女が抱えている感情がそのままストレートに描かれています。
暗い一面もありますが、すべてにおいて伝わってくるのが「生きたい」という気持ち。
生きるのが辛いと想っている人におすすめしたいアーティストです。
数ある楽曲の中から、今回は3つの作品をご紹介します。