今日もみなさんやりたくないことばかりやってますか
はい
内心舌打ちしながらペコペコ頭下げてますか
はい
君は善人ですか?(はい)
やっぱり悪人ですか?(はい)
関係ないけど今夜は楽しいパーティいきますか
出典: 内臓ありますか/作詞:ピノキオピー 作曲:ピノキオピー
「はい」という合いの手が入り続けるのがまた心に刺さりますね。
「イエスマン」になりすぎて、自分の意思が無くなっているような…。
自分の本心とは異なる行動を取ったり、役割を演じ続けることで、人の心は消耗します。
この楽曲はそんな人々のことを歌っているのでしょう。
最後の「パーティー」のくだり。
言葉だけ聞くと楽しそうに感じますね。
でも、これって「現実逃避」の現れではないでしょうか?
消耗し続ける心
血も涙もないけど優しい気持ちも足りないけど
バラバラの思想ぶつかってもみんな
内臓ありますか(はい)
君がいなくなっても よくあることだと割り切っても
身体が萎むくらい泣いてもみんな
内臓ありますか はい はい
はい はい
出典: 内臓ありますか/作詞:ピノキオピー 作曲:ピノキオピー
変わる変わる少女の表情が切り替わるシーンです。
そして、この楽曲のキモでもあるタイトル「内臓ありますか」が繰り返されます。
「内臓」がないと、当たり前ですが生きることができません。
つまり、ここでは「生きている実感はありますか?」と問いかけているのではないでしょうか。
自分を偽って、痛みを見て見ぬふりして…。
その結果、生きている実感が薄れていっているのだと思います。
それを突き刺さる斬新なフレーズで問題提起しているのです。
流石ピノキオピーですね。
一人悩みを溜め込む
あっちが言うには被害者 でもこっちに言われせりゃ加害者
両成敗という言葉使って思考停止の傍観者
因果応報はなく すべては塞翁が馬である
喧々諤々やっても結局は 結果がすべてだった?
出典: 内臓ありますか/作詞:ピノキオピー 作曲:ピノキオピー
他人を責め立てる人の中には、「自分が被害者」と認識している場合があります。
「被害者」であり続けるために他人を加害者に仕立て上げてしまうのです。
そして、当事者でない周囲の人は「喧嘩はどちらにも非がある」と頭ごなしに決めつける…。
そんな煮え切らない経験が語られているのだと思います。
この一連の流れの中で主人公は「誰にも理解してもらえない」という絶望感を味わったのではないでしょうか。
自分の本心がない
今日もみなさんやりたくないことばかりやってますか
はい
たいして何にもやってないのにマージンとりますか
はい
最近良いことあった?(はい)
やっぱり嫌なことあった?(はい)
関係ないけど週末限定バーゲンいきますか
出典: 内臓ありますか/作詞:ピノキオピー 作曲:ピノキオピー
本心のままに生きている人はどのくらいいるのでしょうか?
環境に与えられた役割を担い、収入のために働く人が多い気がします。
そして次第に直面する物事が自分にとって「望むこと」なのか考えなくなる…。
何か判断する時の物差しが「自分の感性」ではなくなってしまった時…。
きっと自分の本来の意思が分からなくなってしまうはず。
そんな鋭いテーマに迫ったところですかさず「バーゲン」の話でお茶を濁すのです。
夢を売るとは?
夢を見失うけど 探せばほんの少しあるけど
最悪売れば金になるけどみんな
内臓ありますか(はい)
外面が綺麗でも醜い内面が嫌いでも
生皮剥いだらおんなじだよみんな
内臓ありますか
出典: 内臓ありますか/作詞:ピノキオピー 作曲:ピノキオピー
夢を売る…。
これはどんな意味なのでしょう?
ここでは「諦め」を重ねて夢を手放し続けた姿が読み取れます。
そして僅かな夢すら「手放すことができる」と言っているのです。
これは「自分の本心を押し殺せばお金を稼ぐことができる」という意味合いではないでしょうか。
でも、自分の心を切りうる行為はまるで「内臓を売る」よう。
そして後半の歌詞は更に鋭く突き刺さります。
ルックスや性格にとらわれたとしても、結局は誰しも骨と肉と内臓の塊。
当たり前なことなのですが、何だか悩んでいることに大して意味がないような気分になります。
このままでは終われない
叫んでしまえ
今日もみなさんやりたくないことばかりやってますか(はい)
今日もみなさんやりたくないことばかりやってますか(はい)
因果応報はなくすべては塞翁が馬である
関係ないけど大きな声で叫んでくれますか
出典: 内臓ありますか/作詞:ピノキオピー 作曲:ピノキオピー