誰かの想いが見える 誰かと結ばれてる
誰かの未来が見える 悲しみの向こう側に
出典: https://twitter.com/exuwjsbgene/status/443045629070045184
生きているひとの時は少しずつでも確実に動いています。 誰かを想い、誰かと結ばれる。そんな未来が悲しみを乗り越えた先にあると歌います。
花咲く未来を思う
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
わたしは何を残しただろう
出典: https://twitter.com/gasyo_school/status/876943465241747456
思い返すように繰り返される歌。
花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
いつか恋する君のために
出典: https://twitter.com/eju_jaha/status/840523384643452928
冬から春へ。夜から朝へ。 時は流れ、重く暗いばかりの空気はやがて明るく穏やかなものに変わることが「花は咲く」の中で歌われています。 そうした変化を経て、やがて花は咲いていきます。 悲しみに暮れていた誰かは笑顔を見せるようになり、誰かの想いは通じて誰かと共に歩いていくようになるのです。 ひとの心の中に、花は咲くのです。 今は苦しく辛いかもしれないけれど、それでもそんな未来が来るのだと願う歌となっています。 そんな未来に生まれる次の世代を担う子に、「わたし」は何かを残せたろうか。 その言葉は単純な後悔ではなく、明るい未来を信じるからこそそれに貢献する何かはあっただろうかという自問です。 いつかの未来に生まれ、健やかに成長しやがて恋をする未来の子に。
少しでも何かを残せていれば幸せだと歌うのはむしろ希望の表れではないでしょうか。
死者から生者へ、生者から死者へ
初めに書いたように、この「花は咲く」は震災で亡くなったひとの目線で書かれた歌だといいます。 そして正しく、「花は咲く」には亡くなったひとの視点から『少しずつ未来へ目を向けていってほしい』という希望が描かれていました。 被災された方に優しく寄り添い、穏やかな未来を願う歌となっています。 けれどこの歌に乗せられた穏やかな希望は、傷つき疲れた被災者の方たちに寄り添えるようにという配慮のほかにも鎮魂の意図があったのかもしれません。 『今は辛くても少しずつ前へと進んでいきます。だから心配しないでください。気に病まないでください』
そんなメッセージがあるようにも思えませんか。
「花は咲く」MV
著名人が歌い継ぐMV
東日本大震災の復興支援ソングとして作られた「花は咲く」。
曲と同時にMVが制作・公開されています。
それは、東北を中心とする被災地出身の芸能人・著名人が一輪のガーベラを手に、リレー形式で歌い継ぐというものでした。
このMVに参加したのは、誰もが知るようなそうそうたる有名人達。
福島県出身の名優、西田敏行。
宮城県出身のフィギュアスケート選手・荒川静香。
お笑い芸人・狩野英孝は、宮城県の神社の生まれであることも知られています。
俳優の中村雅俊や秋吉久美子、涼風真世。
オペラ歌手・森公美子。
タレントとしても人気を集める梅沢登美男。
日本のお笑い界を引っ張ってきた加藤茶。
他にもここには書ききれないほどの、多くの著名人が参加しています。
多くの人々にとって、震災の被害を受けた東日本がかけがえのない大切な場所であったことが伝わってきます。
サンドウィッチマンと東日本大震災
その参加者の中にいるのが、お笑いコンビ・サンドウィッチマン。
伊達みきお・富澤たけし共に宮城県仙台市の出身です。
彼らは地元宮城での冠番組「サンドのぼんやり~ぬTV」で気仙沼市を訪れている時、東日本大震災に被災します。
すぐに避難し、スタッフ共々無事だったものの、気仙沼市は大規模な津波の被害に襲われました。
その様子を目の当たりにし、記録してきたサンドウィッチマンのふたり。
彼らはその後も支援と東北復興のため、先陣を切って動き続けます。
東北への激励をブログに残し、広く芸能界や一般に支援を求め、自分達も何度も東北に足を運んだサンドウィッチマン。
彼らが震災に巻き込まれたのは数奇な運命だったといえるかもしれません。
ですがその後の活躍は、地元宮城への深い愛を持っていたふたりだからこそ成し遂げられたことなのではないでしょうか。
名将・野村克也監督と東北楽天イーグルス
東北出身者を中心とした出演者。
その中に球界の名将、野村克也の姿がありました。
野村は京都の出身で、生まれや育ちでは東北と関わっていません。
そんな野村が出演している由縁。
それは野村が、仙台市を拠点とする「東北楽天イーグルス」の監督を勤めていたからです。
野球ファンなら誰もが知る名将。
当時既に監督の座を退いてはいたものの、東北初のプロ野球球団。
その初期を率いた野村は名物監督としてファンに愛されていました。
そんな野村の出演は、東北楽天イーグルスに東北の希望を担ってほしい。
そんな思いを重ねたものだったのでしょう。
2011年の楽天イーグルスの監督は闘将・星野仙一が率いていました。
こんな状況で野球を続けていいのか。
悩みながらも戦い続けた東北楽天イーグルスは、いつしか東北の精神的な支柱となっていきます。
そして2年後、2013年。
東北楽天イーグルスはKスタ宮城で球団初優勝を果たします。
まだ震災の傷が深い東北を勇気付けたい。
そんな選手たちとファンの想いが紡いだ勝利は今でも語り継がれています。