「伝説のアイドル」松田聖子!
ピンク・レディーが解散を発表し、山口百恵さんが引退をしてしまったのです。
1978年に解散してしまったキャンディーズとともに、人気絶頂の中での出来事でした。
しかし同年、1980年代を代表するアイドルが芸能界に突如現れました。
それが松田聖子さんでした。
彼女の人気は凄まじいものでした。
当時の女性の多くが「聖子ちゃんカット」と呼ばれる松田聖子さんの髪型を真似していました。
そんな松田聖子さんは数々の伝説を残しています。
なかでも驚異的なのが「24作連続1位」という記録ではないでしょうか。
1980年〜1988年の間に発売されたシングル全てがオリコンチャートで1位を獲得したのです。
その中には「赤いスイートピー」や「渚のバルコニー」といった今でも語り継がれる名曲たちも含まれています。
今回はこの記録の始まりとなった松田聖子さんの「風は秋色」という曲について紹介しようと思います。
伝説の始まり「風は秋色」
素晴らしい歌声
「風は秋色」が発売されたのは1980年10月1日でした。
前作「青い珊瑚礁」が大ヒットするも最高位が2位で止まってしまったため、悲願の1位達成となりました。
この曲は軽快なリズムと派手なブラスセクションで幕を開けます。
「これぞ80年代昭和歌謡!」と言わんばかりの1曲ですね。
当時の映像を見ると、多くの人達が惚れ込んだというのも頷けます。
松田聖子さんは容姿が美しいのはもちろんなのですが、その歌声もとても美しいのです。
昭和の名曲を裏で支える人達
1980年代といえば「アイドル黄金時代」と呼ばれていて、数多くのアイドルが登場した時代でした。
松田聖子さんの他にも薬師丸ひろ子さんや小泉今日子さんも当時はアイドルとして活動していました。
このお二人は近年だと朝の連続テレビ小説「あまちゃん」でもその歌声を披露していましたね。
それほど多くのアイドルが活躍していたということは、多くの楽曲がその時に生まれたということです。
「昭和の名曲に名作曲家、作詞家あり」という言葉を以前聞いたことがあります。
松田聖子さんの楽曲だと松任谷由美さんが「呉田軽穂」という別名義で多くの曲を提供していました。
他にも日本語ロックの草分け的存在だった「はっぴいえんど」のメンバーも関わっていました。
細野晴臣さんと大瀧詠一さんは多くの曲を作曲しています。
当時ドラマーだった松本隆さんも、作詞家として松田聖子さんの楽曲に携わっていました。
他にも「チューリップ」の財津和夫さんも作曲で参加しています。
とても豪華な面々が昭和アイドル時代を裏から支えていたのです。
「風は秋色」を生んだ二人
作曲担当 小田裕一郎
今回取り上げている「風は秋色」は小田裕一郎さんという方が作曲をしています。
彼も多くの歌手に楽曲を提供している作曲家でした。
特に有名なのが「風は秋色」をはじめとするデビュー時代の松田聖子さんの楽曲でしょう。
松田聖子さんのデビュー曲である「裸足の季節」や先ほどの「青い珊瑚礁」も小田裕一郎さんが作曲をされています。
作詞担当 三浦徳子(みうらよしこ)
そしてこれから解説をする歌詞を作詞されたのが三浦徳子さんです。
彼女も小田裕一郎さんと同じく、作詞家として多くのミュージシャンに歌詞を提供していました。
中森明菜さん、八神純子さん、野口五郎さん、沢田研二さんといった方々にも歌詞を書かれています。
さらに三浦徳子さんは多くのジャニーズタレント達の歌詞を担当された方としても知られています。