There's no chance for us
It's all decided for us
This world has only one
Sweet moment set aside for us
出典: リヴ・フォーエヴァー/作詞:Brian May 作曲:Brian May
フレディ・マーキュリーの豊かな表現力に舌を巻きます。
音域、声量、歌手としての魅力や人間性の素晴らしさをすべて持ち合わせているのが分かるでしょう。
「私たちにはいかなるチャンスもない
すべては私たちに与えられた運命による
この世界は私たちにほんのひとときの甘い時間しか用意しない」
いまだ暗い世界を嘆きます。
死生観だけでなく、人生観までも暗く沈んだトーンです。
人は死に関しても宿命付けられていますが、生に関しても運命の狭間で息継ぎするしかありません。
宇宙的な視点から人の人生を覗くと、その果敢無さや刹那な有り様が際立つものです。
クイーンは常に恵まれない人々の視点に立って歌詞を紡いできました。
ブライアン・メイも「We Will Rock You」などで、恵まれない人々の視点から世界を描いたのです。
この「リヴ・フォーエヴァー」の歌詞にも、そうした傾向が現れています。
まだまだ暗い世界に棲む人々へ焦点を合わせるのです。
この先に大きな救われるドラマがあります。
もう少し見ていきましょう。
愛の永続性にも疑問符
「不死の者」の視線
Who wants to live forever?
Who wants to live forever?
Who?
Who dares to love forever
Oh, when love must die?
出典: リヴ・フォーエヴァー/作詞:Brian May 作曲:Brian May
歌詞の和訳を添えます。
「永遠に生き続けることを望むものは誰?
誰が永遠に生き続けることを望むのだろう?
いったい誰が?
誰が永遠に愛したいと願うのだろう
Oh,愛は必ず死に絶えるというのに」
人間は不老不死については諦めかけていますが、愛の永続性については幻想を抱き続けています。
ブライアン・メイはそうした幻想までも打ち砕こうとするのでしょうか。
その答えはもう少し先に見えます。
ここでは「不死の者」の視点から愛の永続性がどう見えるのかを描いたのかもしれません。
「不死の者」にとっては必ず息絶える人間存在の果敢無さと、付随する愛の刹那はイコールに見えます。
永遠の愛を誓う人間存在自体が限りあるものに過ぎません。
愛の永続性というのは人間が想像力を駆使して繋げた架空の生命体のようなものです。
愛は抽象的な概念であるからこそ生きられる存在ですが、実際の宇宙では生命の限界で消え去ります。
それでも私たちは愛の永続性を信じて誓い合い、愛し合うことしかできません。
次のラインでそのことに虚しさを感じる必要はないとブライアン・メイは教えてくれます。
先を読みましょう。
永遠とは何だろう
触感で愛を感じること
But touch my tears with your lips
Touch my world with your fingertips
And we can have forever
And we can love forever
Forever is our today
出典: リヴ・フォーエヴァー/作詞:Brian May 作曲:Brian May
歌詞が大きく変わりドラマが生まれます。
高揚するサウンドとフレディ・マーキュリーの絶唱に酔いましょう。
歌詞の和訳を添えます。
「しかしあなたの唇で私の涙に触れておくれ
あなたの指先で私の世界に触れておくれ
そうすれば私たちは永遠を手にすることができる
そうすれば私たちは永遠に愛し合うことができる
永遠というのはつまり私たちが生きている今日のこと」
これまで抽象的な概念に過ぎなかった愛が触感によって具現性を帯びるのを感じてください。
あなたの唇と指先で愛を肉感で捉えられることによって世界の有り様が変わるのです。
暗い世界観と人生観が歌われてきたこの曲に新しいドラマが誕生します。
新しく産まれて育まれたものは「希望」です。
今日という日が永遠を築く
ブライアン・メイが考えていた愛というものに関する深い洞察が垣間見えます。
愛は観念や概念だけでは成り立たないし、いずれ死に絶えてしまうと歌詞に想いを込めたのです。
あなたの唇や指先で感じられるリアルなものこそが愛の本質だと歌詞で表明します。
そしてそうしたリアルな愛の永続性を歌い上げるのです。
その永続性はもちろんこれまで見てきたように、生命の限界で潰え去るものでしょう。
ではブライアン・メイはどのようにこの矛盾を解決したのでしょうか。
それは永遠というものそのものの解釈を変えることによって矛盾を解消させるのです。
「永遠というのはつまり私たちが生きている今日のこと」
小さきものに神が宿るという逆転の発想があります。
ブライアン・メイは天文物理学に精通する人ですから、神については不信であるかもしれません。
それでもミニマムなものに永遠を見るという弁証法的な解釈をすることで矛盾を乗り越えるのです。
私たちが日々過ごす今日という時間こそ永遠の正体。
弁証法的な発想に馴染みがないと中々難しい観念かもしれません。
しかし永遠という時間がいかにして成り立つかを想像してください。
永遠というものが成り立つには今日という日が欠けてしまうことなく続くことが大前提になります。
私たちの今日というピースこそが永遠を司るものなのです。
愛と同様に今日というリアルがないと永遠も成り立ちません。
ブライアン・メイは究極のリアリストであるからこそ、この曲のような感動的な歌詞を書けたのです。
さあ、いよいよクライマックスになります。
フレディ・マーキュリーは歌詞の意味を汲み尽くして感動的に歌い切るのです。
永遠は待つものではない
誰もが永遠を知る
Who wants to live forever?
Who wants to live forever?
Forever is our today
Who waits forever anyway?
出典: リヴ・フォーエヴァー/作詞:Brian May 作曲:Brian May
クライマックスの歌詞です。
思いの丈をこのラインに託します。
短いですが歌詞を和訳しましょう。
「永遠に生き続けることを望むものは誰?
誰が永遠に生き続けることを望むのだろう?
永遠とは私たちが生きている今日のこと
そもそも誰が永遠を待望しているのだろうか?」
逐語訳で多少硬さがあります。
もう少し柔らかく意訳すると最後のラインは「永遠とは待つものではないだろう」という感じです。
ブライアン・メイは永遠とは望んだり、待ってみたりするものではもはやないと結論づけます。
なぜならばどんな人も生きている限り今日という日を過ごすからです。
今日という日がすでに永遠を支えるものであることは先ほど見たとおりになります。
「不死の者」でなくても、永遠を抱くことができると「希望」を持って欲しい。
私たちが生きる今日こそ永遠を築くもの。
つまり私たちはすでに永遠の時間を生きていますし、もう永遠を待ち望む必要などないでしょう。
このブライアン・メイの発想の転換によって、私たちは人生に「希望」を見出すことができます。
クイーンの数ある楽曲の中でもこの「リヴ・フォーエヴァー」がいかに偉大な曲であるかを知る思いです。
そして忘れないで見ておきたいことがあります。
それはブライアン・メイがこの曲でリアルを生き抜く私たちに焦点を当ててくれたことです。
「リヴ・フォーエヴァー」はクイーンから私たちへの温かいエールになっています。