川を挟んで別々の暮らし
向こう岸見渡せば 君が暮らしてる街
君のことを見つけた 8:30の大橋
出典: ちこくしちゃうよ/作詞:山下穂尊 吉岡聖恵 作曲:山下穂尊
大橋という橋が川の両岸を繋げているようです。
君はあたしにとって向こう岸に棲む男子学生なのでしょう。
あたしはまだこの大橋を超えたことがないのかもしれません。
未知なる君の暮らしに様々な思いが募ります。
遅刻ギリギリの8時30分に君の姿を初めて見つけたと歌います。
川の両岸に男女が別れて棲むのは天の川の伝説のように古来のモチーフです。
ふたりが今はまだ遠い存在であることをこうしたディテールで伝えてゆきます。
行ったことのない街には様々な空想を遊ばせることができるでしょう。
その空想の街の中で君がどんな暮らしを実際に送っているのか。
そのことまで空想の羽を大きく伸ばします。
片想いの楽しさは現実を離れて色々な空想に没入できることでしょう。
ベルに鼓動を乗せて
恋心まで音で表現するいきものがかり
伝わるのかな? このドキドキの苦しさと愛しさと
聞こえるのかな? あたしのベルに ひどく強く 刻む 鼓動
出典: ちこくしちゃうよ/作詞:山下穂尊 吉岡聖恵 作曲:山下穂尊
片想いでいつも気にするのは「さとられること」への恐怖感です。
自分できちんと告白できるまでは隠し通していたい恋心の不思議。
誰かに相談するのも気が引けるのが片想いの基本的な在り方です。
それでもどこかで君に気付いて欲しいとも思っています。
片想いの心境というのは基本的に我がままが通じる欲張りなものなのです。
胸の鼓動が伝わってしまったらどうしよう。
一方、まるで気付いてもらえなかったならば哀しい。
自転車のベルを自身の鼓動を刻むように鳴らしてみる。
こんな些細なことでは鈍い男子学生が女性の恋心に気付くはずもないのですが本人は命がけです。
この恋が実るかどうかで青春の価値もまるで変わってくるという状況でもあります。
必死になるのも無理のないことなのです。
音を鳴らすものに恋心を投影する辺りにいきものがかりの音楽家としての矜持が垣間見えます。
ビートにビート(鼓動)を乗せているのです。
青春の時間軸
まだまだ青春は長く続く
自転車に乗った 君にあたしは何もできないで
急がないでね 焦らないでね 傍にいる時間をもっと
どうしようもなくて 遅刻しちゃいそうなんだ今日は
ただ君のこと ただ君のこと 後ろ姿の君を ただ見つめてる
出典: ちこくしちゃうよ/作詞:山下穂尊 吉岡聖恵 作曲:山下穂尊
片想いのもどかしさが十全に表現されきっています。
君に対して恋心をいだいているあたしはどこか萎縮してしまうのです。
青春と呼ばれる時間は大人になって思い返すと非常に僅かなものだったことに驚きます。
青春の時間を過ごしているその時は一日一日が充実していて非常に長い時間のように感じました。
あたしはまだ青春の真っ只中で時を過ごしています。
そのためにこの時間は無限に続くのではないかというような錯覚に陥っているのです。
本来ならば他の女性が君の存在に気付いてしまう前に告白した方がいいでしょう。
しかし青春時代特有の呑気さであたしはそうした心配から遠いです。
今は自分の恋心を確かなものにするためだけに君を追いかけます。
「ちこくしちゃうよ」という時間になっても急がず、焦らず、そばにいたいと願うのです。
こんな風に想われている君は素晴らしく幸せな存在ですが、本人に自覚はありません。
なぜあたしって娘はちらちらとこちらをうかがうのだろう。
そのくらいは気付いているかもしれないのですが、あたしの気持ちまでは気付いていません。
気付いていないことをいいことにあたしはずっと君の後ろ姿を追い掛け続けます。
青春の淡い恋心の1ページですからストーカーなどと間違えないでください。
「ちこくしちゃうよ」と自転車
いつまでもティーンエージャーのために
自転車に乗って 走る君の肩追いかけ
気付かないでよ 気付いてみてよ
ふいに落としたそのスピード
自転車に乗って 遅刻しちゃいそうだよ今日は
揺れた木洩れ日 ヒコウキ雲を
のんびり見とれ走る 君追いかける
自転車に乗って
出典: ちこくしちゃうよ/作詞:山下穂尊 吉岡聖恵 作曲:山下穂尊
いよいよクライマックスの歌詞になります。
いきものがかりのルーツであるフォークソングにも自転車の歌はたくさんあるのです。
中でも「フォークの神様」高田渡の「自転車にのって」などが有名でしょう。
自転車が丁度いいスピードで朝の光の中を走ってゆく姿は美しいもの。
こうしたアイテムでないと出せない味というものがあります。
目指すのは君の後ろ姿。
結局、最後まで片想いが成就することはないままで曲は終わります。
それでも自分の恋心をさとられはしないかとやきもきする気持ちなど片想いの魅力がすべて詰まっている。
自転車登校なのに「ちこくしちゃうよ」。
教師にはひどく怒られそうですがそうした余分なドラマは書かれません。
学園ソングではなくあくまでも片想いソングとして完結しました。
こんな青春の風景に還りたいという思い、まだまだ青春を楽しみたいという思い。
ベテランさんも現役さんも楽しく聴けるのがいきものがかりの魅力でしょう。
ユニットは成長してゆきます。
いつまでもティーンエージャーのための曲作りでは身の丈が合わなくなる日もくるでしょう。
それでもいきものがかりには極限まで淡い恋を歌い続けて欲しいものです。
「ちこくしちゃうよ」
青春時代の固有の時間感覚などディテールまで練られた素晴らしい名曲。
ご紹介できて幸せな時間を過ごせました。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。