安心できる場所
コーヒードリッパーに少しずつお湯を入れていく作業。漫画を読むこと。レコードを探すこと。
それぞれの作業を行っているとき、彼らは真顔のはずです。
実際その表情がちらりと映っているメンバーもいます。
MARTINが声をかけた瞬間、あるいはMARTINに気づいた瞬間、柔らかい笑顔に変わるのです。
顔を見ると緊張がほぐれて笑顔になれる相手。
マイホームやベースキャンプといったところでしょうか。
自然に湧き出る笑顔の意味
仲の良い友人だからといって、立ち上がってハグをしたり握手を求めたり、大袈裟なリアクションはしません。
なぜならば、普段からそばにいることが当たり前の間柄だからです。
見慣れているから、そこにいることに対して驚きません。
だからこそ「笑顔」が大きな意味を持つのです。
そばにいるのが当たり前で、顔なんて見慣れているのになぜか自然に笑顔になれる相手。
やはり「家族」や「仲間」を感じさせますね。
何気ないシーンばかり
カフェスタッフとしての当たり前の日常。カフェのお客さんとしての当たり前の日常。
特に大きなトラブルが映し出されるわけではなく、淡々と時間が過ぎていきます。
これにはどんな思いが込められているのでしょうか。
喜びを知って喜びを与える人に
家で待つ家族を思いながらの帰り道や、店で待つ仲間のことを考えながら歩く道。
玄関のドアを開ければ「おかえり!」の声が聞こえるのでしょう。
逆に、家で食事を作りながら、帰り道を歩く家族のことを思う立場であれば「ただいま!」の声が聞けますね。
ひとりで暮らしている人は、いつか聞いた声を思い出すことがあるのかもしれません。
多くの人が聞き、多くの人が口にするありふれた言葉だといえます。
同時に、特に強い意味を感じないまま聞いたり、口に出したりしていませんか?
「ただいま」と聞こえても、顔を上げずに煮込み中のカレーに向かって「おかえり」と言葉を落とすことはありませんか?
「おかえり」と家族が出てきても素知らぬ顔をして自室に向かってしまうことはありませんか?
何があるかわからない世の中、明日にはもう「ただいま」が言えなくなる可能性があります。
「ただいま」と帰れる幸せ、「おかえり」と出迎えられる幸せは永遠ではないのです。
忘れられない
いまさらを
胸にしまい込んで
思い出してよ
おかえりの
声が聞こえた日のことを
出典: 帰り道/作詞:TOSHI-LOW 作曲:OAU
大切な人や家族に「おかえり」と出迎えてもらえたときの安心感。
肩の力を抜いて自分らしくいられる時間の始まり、それを告げるのが「おかえり」なのかもしれません。
このひと言が自分にとって大切な記憶。この温かさを大切な人に与えたいと感じるのでしょう。
先回りして
君を待ってる
帰り道の坂の途中
出典: 帰り道/作詞:TOSHI-LOW 作曲:OAU
曲の冒頭で、このように歌われています。
誰かに出迎えてもらえる幸せを相手に与えたい。
もしくは、出迎えてもらえる幸せを思い出して欲しい。
そんな一心なのでしょう。
きっと何かできる
BRAHMANは、2011年の東日本大震災の直後、支援のため被災地に向かいました。
活動は単発で終わらず、継続されています。
「おかえり」が言えない状況・聞こえない状況が、誰にいつ訪れても不思議ではありません。
作詞を手がけたTOSHI-LOWは、被災者の生の言葉を沢山聞いてきたはずですから、こうした思いがより強いのかもしれませんね。
MVに描かれている何気ない平穏なシーンだって、いつまで続くか分からないのです。
人はそれぞれ得手不得手があり、できることは限られています。
しかし何もできない人はいません。
「おかえり」と言われた経験が自分にとって何よりの宝物なら、誰かに「おかえり」と言ってあげる。
「おかえり」と言われたら笑顔で応え、何事もなかったいつもの日常を心の中でしっかりと喜ぶ。
できることをやっていくのと同時に、何気なく口にしている当たり前の言葉の意味を今一度しっかり考え直したくなりますね。
もしも言葉に意味がないのなら、帰宅を知らせるベルでもあれば事足りるはずなのですから。