空っぽが満たされて色付いた
君から、ぼくのフィクションと。
側に居て抱きしめて 軋む程
なんてね、永遠まで2人…

出典: 独白園/作詞:GESSHI類 作曲:水谷和樹

幸せなことがあった時は、世界がいつもより鮮やかに見えることがあります。

その逆の時もあります。

ぼくの心は不安にさいなまれ、すり減ってしまっていました。

しかし、「君」からの愛情が心を満たしたのです。

暗い感情と葛藤していたぼくは、本当は純粋な願いを抱いていました。

「君」といつまでも一緒にいることです。

涙の理由

なぜ涙?

今日命尽きるとも ぼくはぼくに生まれ変わって
必ず君見つけるだろう そして、泣くから。
君は笑って手を振って「バカなやつ」って蔑んでいい
それ見てやっぱりぼくは泣き崩れるから。

出典: 独白園/作詞:GESSHI類 作曲:水谷和樹

せっかくぼくの願いが明らかになったのに、状況は変化します。

なぜ「泣く」という言葉が最後に2回も登場するのでしょう?

曲の最後を飾るフレーズだけに、ここはとても重要です。

終わり方の考察1つで、ストーリー全体の印象が一変するでしょう。

ここでは、2つの説を挙げて考察してみたいと思います。

考察1  うれしくて泣いた

考察1つ目です。

ここでは涙の理由を「うれし泣き」と考えています。

ぼくは転生した先でも「君」と共にいたいと思っているようです。

それほどに「君」への愛が深いのでしょう。

さらには、次の人生で「君」を見つけられるという自信もあります。

「また、無事に君に会えた」

そのように思って、ぼくは涙を流すのではないでしょうか。

続けて、ぼくは「君」に蔑まれることを許しています。

これはぼくを見下す意図ではありません。

これが、ぼくと「君」のお決まりのやりとりなのではないでしょうか。

共に長い時間を共有する恋人同士には、2人にしか通じない言葉や言い回しが生まれます。

ぼくを蔑むように言葉をかけることが、一種の愛情表現になっているのかもしれません。

次の人生で出会った時にも、「君」が昔と同じように反応してくれる。

それは「君」の人格も、愛情もそのまま変わっていないことの象徴です。

また共に人生を歩むことができる喜びで、ぼくは涙を流すのではないでしょうか。

考察2  現実と想像の乖離

2つ目の説は、少し厳しい内容かもしれません。

曲全てが、ぼくの想像(フィクション)に過ぎなかったのではないかという説です。

つまり、「君」とぼくが両想いだということも、想像でしかありません。

根拠となるのは、曲全体が一貫してぼく視点であるということ。

「君」への思いや、「君」への同意を求める言葉も出てきます。

しかし、それらへの「君」からの返事は一切登場していないのです。

ただ1つの事実は、ぼくが「君」を好きだということのみ。

「想われた」という両想いを示唆する言葉すら、ぼくの想像だったかもしれません。

そう考えると、流した涙の理由が変わってきます。

「君」の隣には、今も、仮にぼくが生まれ変わった後も、別の人間がいるのです。

ぼくはいつまでも、「君」と結ばれないことになります。

想像が高じたぼくは、「君」と思い合っていると思いこみました。

そして一方的に想いを伝え続けていたのです。

しかし、「君」にはまったく別の恋人がおり、ぼくのことは見ていなかった。

仮に転生したとしても、その事実は変わりません。

だからこそ、想いが通じない僕は涙を流したのではないでしょうか。

クセになる音楽を!

【ぜんぶ君のせいだ。/独白園】歌詞の意味を解説!七色の狂気とは何?ぼくから君への執着心を解き明かす!の画像

いかがでしたでしょうか?

今回は「ぜんぶ君のせいだ。」の楽曲「独白園」を解説してきました。

考察は人によって解釈が分かれるところだと思います。

音楽の面白いところといえるでしょう。

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