独りじゃないよと伝えたい
DISH//の「僕らが強く。」は2020年8月に発表されました。
ちょうど、世界中が目に見えない脅威と戦い始めた頃。
様々なイベントや催し物が中止、夢のため努力していた人も我慢を強いられていた頃です。
社会は自粛の嵐に疲弊し、その重く悲しい風は私たち一人ひとりにも襲い掛かかってきました。
大会なども軒並み中止になり、何を目標にしてよいのか、明日が見えない。
そして多くの人が強く孤独を感じていました。
今まで信じられていたものが、今は信じられなくなり。
明日が明るい日になるか、それすら希望を持てない。
そんな重く苦しい空気が、多くの人の心を襲うなか。
DISH//の「僕らが強く。」は、そんな社会に向けて作られた楽曲です。
今は辛いけれど、悩み苦しむ僕たちは独りじゃない。
いつか、必ず来る希望の日のために、僕らが強くあろう。
そう強く、多くの人を応援するために作られました。
そんな「僕らが強く。」には、様々な意味が込められています。
歌詞を考察し、その想いに迫ってみましょう。
「僕らが強く。」に込められた思いに迫る
「僕ら」とは誰に向けて?
タイトルの「僕らが強く。」から紐解いてみます。
「僕らが強く。」の「僕ら」とは誰のことか、そして誰に向けて表現されているのか。
これは、なによりも楽曲を表現するDISH//自身であるといえましょう。
楽曲を制作したのは、マカロニえんぴつのはっとりです。
楽曲の制作に関しては、彼だけでなく、DISH//のメンバーも多くのアイディアを出したとか。
そこで浮上した言葉が「僕らが強く。」というフレーズであったことを明かしています。
DISH//自らがいう「僕ら」とは、今ここで生きる自分達全ての人です。
どんなときも、今を生きる自分達が強くあること、その大切さを歌っています。
この楽曲を聴く全ての人に向けて、自分達と共に「僕らと一緒」に「強く。」なのです。
語尾の「。」に込められた意味
タイトルの末尾につけられた「。」も意味があるようです。
「僕らが強く」よりも「僕らが強く。」の方が「。」に込められた意味を感じます。
ではどんな意味が込められているのか。
言葉だけだと「僕ら」が「強く」いなければならないという決意に受け取れます。
そう、これは決意の表現なのです。
難しい言葉も、付属する表現もいらない。
ただ純粋に、この困難な環境を、この時代を生きよう「強く。」
それ以外に表現する必要がない、ただそれだけだから。
すっきりと、簡潔に、そして潔く。
強くいようという純粋な決意を表すため「。」が用いられたのでしょう。
では次に、本編となるリリックの表現についても、迫ってみます。
愛とは何を指すのか
落としものは落としやすいもの
愛は落としものだ
誰かの落としものは今日も
間違えてポケットを滑り落ちた
出典: 僕らが強く。/作詞:はっとり(マカロニえんぴつ) 作曲:はっとり(マカロニえんぴつ)
冒頭のリリックです。
ボーカルの柔らかく優しい歌声がうまくかみ合い、リリックはとても柔らかい表現になっています。
「愛」と表現されると、一般的には男女関係などにある恋愛の愛を想像するでしょう。
このリリックは、それだけではないようです。
男女だけでなく、家族への愛、仲間への愛など、日常の様々なシーンに存在する愛を歌っています。
愛は時々、落としものものとなる。
この表現ですが、例えば落としものをする場合には、どんなものを落としやすいでしょう。
鍵や小銭といったものが落としものの代表格として挙げられます。
これらはとても小さく、うっかりすると失いやすいものです。
貴重品ではあるのに、誰もが簡単な扱い方をしがち。
だから落としやすい。
このリリックに当てはめると、愛もそのようです。
貴重で大切なものなのに、簡単な扱いをしてしまいがち。
だからうっかりポケットから滑り落ちて、落としものになってしまうということです。
失くすものじゃないから
で、僕や君が拾ってたりする
だからね 失くしものじゃない
出典: 僕らが強く。/作詞:はっとり(マカロニえんぴつ) 作曲:はっとり(マカロニえんぴつ)
愛は貴重で大切なものなのに、安易に扱い、時に落としてしまうもの。
しかし、その次に来るリリックが愛を表現する大切なリリックでもあります。
それがこちら。
失くしものではないのです。
落としものと失くしものの違いは、落としものは見つかるけれど、失くしものは失うもの。
つまり、愛は失うものではないということです。
僕や君が拾っているというのは、誰もが見つける可能性があるということ。
特定の誰かがということではなく、何気ない僕らは見つけることができるということです。
愛を失うことはない。
どんな場合でも、愛は落としてしまうことはあるけれど、決してなくならない。
それを表現したリリックです。