「古いSF映画」amazarashi
「古いSF映画」は1stフルアルバム『千年幸福論』の楽曲として、2011年にリリースされました。
amazarashiがリリースしてきた一連の映像作品の集大成として、そのPVが公開され話題になったことを覚えています。
まずはそれらの映像を追っていきましょう。
過去3作品のPV
「夏を待っていました」
奇妙なテルテル坊主はその顔を変え姿を変え、僕らに何かを訴えかけています。
郷愁と虚しさが漂う楽曲であり、中盤で登場人物が自殺します。テルテル坊主に首吊りのイメージが付与されていることは明らかですよね。
様々なものになり得るテルテル坊主が何を意味するのか…それは次の作品を見てから考えましょう。
「クリスマス」
空飛ぶ島を夢見る少女は、曇り空が晴れることを願いテルテル坊主を吊るします。
彼女のもとに流れ星みたいな光が飛来してきます。それはあのテルテル坊主の化け物でした。
襲われる少女を救ったのは、彼女が作ったテルテル坊主。
少女を襲い/守る2体のテルテル坊主、その差が僕らにはわからなくなってきます。
テルテル坊主は人間の比喩
amazarashiは善と悪の二元論を否定してきました。このテルテル坊主はそれぞれが入れ替わっていてもわかりません。
どちらも誰かにとっての悪になり得るし、どちらも誰かにとっての善になり得るのです。戦争って、そして社会ってそういう善/悪に分けられない対立でできてますよね。
このテルテル坊主が人間の例えだと考えるとしっくりきます。なぜ彼らは吊るされているのか、それは何者かに操られているからです。
社会を生きていくうえで上下関係から逃れることは出来ません。私たちはクラス、学校、会社、国などに帰属しなければ生きていけないのですから。
そうして何かに使われる中で疲弊し、傷ついていくのです。このMVでテルテル坊主は、どちらも倒れて終わります。
「アノミー」
そして「アノミー」へと移っていきます。アノミーとは社会に秩序が無い状態を指します。秋田ひろむは現代を、かつて信じられていた秩序が崩壊した世界だと語ります。
罪を犯すと神に裁かれると信じられた中世から、神などいないと知った現代へと、人間は時を旅してきました。
パソコン、工場の煙突、パラポラ、このMVは最も現代的ですよね。排気ガスに苦しむ女性。空虚に光る「PARADISE」のネオンは、楽園など全て幻想なんだと示すようです。
そしてパソコンを操作する少年は、あのテルテル坊主を呼び寄せてしまいます。それとは別に、パソコンの操作に反応してクモのような化け物が登場します。こちらもテルテル坊主のマントをまとった姿で…。
蜘蛛の糸
最後にクモが開けたあなたから垂れる白い糸は、僕らに芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という短編を思い出させます。
お釈迦様が地獄にいる罪人に、極楽へ行くチャンスという形で蜘蛛の糸を垂らすお話です。
つまり少年のいるこの世は地獄で、蜘蛛の糸の先には楽園が待っていることになります。しかし本当にそうでしょうか…あの暗闇の中に楽園はあるのでしょうか?