今作のテルテル坊主は「クリスマス」よりも一歩進んだ形になっています。どちらも立場が明確ではないのです。
少年の何らかのアクションに応じて現れた2体のテルテル坊主は、敵なのか味方なのかもわかりません。まさに社会で出会う他人の姿です。
「古いSF映画」PV
いよいよここまで来ました。集大成となる「古いSF映画」です。「夏を待っていました」の雰囲気の中に「アノミー」の花が表れ、テルテル坊主たちが蠢きます。
虚ろな目をした「クリスマス」の女の子は、お守り代わりにテルテル坊主を持ち歩いています。「アノミー」で登場した黒い穴は大きくなり、彼女たちはそこから垂れる糸を辿ることにしたようです。
クモはその進行を遮ろうとしますが、タコ足のテルテル坊主のフォローによって彼女たちは穴をくぐることに成功します。
キリスト教的価値観では悪魔といわれるタコ、それに救われるところに社会のコードへの疑問が見られますね。
終盤、草原にたたずむテルテル坊主はついに人間の姿で現れます。全部平和に解決したみたいな青空の下、救世主然とした人影は何も語りません。
世界に向けて発信されるメッセージ
ディストピア映画(文明の発達で地獄のようになった世界を描く作品群)のようだった風景は、平和になりました。人影はトランシーバーのようなもので世界に向けてメッセージを発信しています。
そのメッセージは何なのか、歌詞から読み解いていきたいと思います。
「古いSF映画」歌詞
ディストピア
昨日の夜遅く テレビでやっていた映画を見たんだ
未来の世界を舞台にした 海外の古いSF
すでに世界は汚染されて マスクなしじゃ肺がただれて
瓦礫の如きメトロポリス 未開の惑星みたいな地球
逃げ込んだ先は地下室 ただしの80000km2の
昔はシェルターと呼ばれていたが 今じゃ都市と呼んで差し支えない
人工太陽 人工植物 そもそも人工じゃないものはない
ほぼ人間と変わらぬAI 誰もそれに疑問は抱かない
出典: 古いSF映画/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
文明が発達し過ぎたゆえの地獄。ディストピア的世界が描かれた映画の話が語られます。
その中で秋田ひろむはどんな問題提起をしていくのか。
殺人 略奪 治安維持も無く 力は力でしか抗えない
犯罪の5割はアンドロイド 科学の飽和を憎む主人公
前時代ののCGもほどほどに 徐々に核心に迫るミステリ
だが実は彼もアンドロイド ってのがその映画のラストカット
出典: 古いSF映画/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
その映画の先待っていたのは、虚無でした。機械が(知らぬ間に)機械を憎む世界で、何のために人間は文明を発達させたのか。
破滅しか待っていないなら、何のために人間は生き続けるのか。多くの疑問が頭をよぎります。
アンドロイドと人の違い
僕らが信じる真実は 誰かの創作かもしれない
僕らが見てるこの世界は 誰かの悪意かもしれない
人が人である理由が 人の中にしかないのなら
明け渡してはいけない場所 それを心と呼ぶんでしょ
出典: 古いSF映画/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
SFが僕らに何度も問いかけていること。それは精巧なアンドロイドと人はどこが違うのか、ということです。
つまり人間を人間たらしめているものはいったい何なのかという話になってきますよね。
秋田ひろむはそれが心なんだと、この世界は全部嘘かもしれないけど人間には心があるんだと、強く主張しているのです。
当たり前を大切に
風がそよぎ 海が凪ぎ 空に虫と鳥が戯れる 木々は今青々と
四季の変わり目にさんざめく 見てみろよ
当たり前にある景色も 大事にしなきゃなって思うでしょ
この世界に不必要なのは人類だって話もある
説教じみた話じゃつまらない 分かってるだからこそ感じて
経験は何よりも饒舌 そしてそれを忘れちゃいけないよ
草木に宿る安堵の情念 昔の人は神様と呼んだ
ほら触れて想像してみなよ この温もりを君は何と呼ぶ?
出典: 古いSF映画/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
そういった映画を見て、もう一度身の回りの風景を感じてください。自分は楽園にいるんだと、そう思えてきませんか?今を大切にするってそういう感覚なんだと思います。