軽やかに疾走する失恋ソング『はにかんでしまった夏』
indigo la Endの『はにかんでしまった夏』は、失恋を単なる失恋として片づけない意味深な歌詞が魅力です。
ハーモニーやベースラインなど楽曲構成には「彼ららしさ」がギュギュッと詰め込まれています。
曲の疾走感と失恋の切なさという相容れない要素を両立している点も、indigo la Endらしいといえるでしょう。
ガラスケースに閉じ込められた花と人
『はにかんでしまった夏』のMVを手がけた枝優花監督は、『蒼糸』でも印象的な映像を制作しています。
ミュージックビデオ
監督 枝優花
曲名 「蒼糸」「はにかんでしまった夏」
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/Indigo_la_End
ガラスケースに閉じ込められている美しい花と人々。
透明感のある映像なのに妙な息苦しさを感じますね。
まるで短い夏を象徴するかのように駆け抜けていくこの曲、どのような世界が広がっているのでしょうか。
『はにかんでしまった夏』の歌詞の意味に迫ります!
夏の終わりの恋は一瞬で消えた
時の流れはいつだって一定であるはずなのに、夏も中盤に差し掛かると途端に一日が短く感じる。
そんな経験はありませんか?
恋愛ごっこも終盤に差し掛かり
ありふれた 夏の瀬に
おまじないみたいな恋をした
確信に 満たないことだらけ
最初に 解けて欲しかった
出典: はにかんでしまった夏/作詞:川谷絵音 作曲:川谷絵音
「瀬」は時間の流れの速さを表しているのでしょう。
季節の終わりが見えた頃に芽生えた恋心は、胸を張って「恋」と呼べるものではなかったようですね。
誰かに指摘されて初めて「好きかもしれない」と気づくような恋。
告白されたことで「好きになれるかもしれない」と希望を抱く恋。
輪郭がハッキリとしない気持ちで、何となく始まった恋なのでしょう。
好きなのかどうか、好かれているのかどうかもよく分からないのです。
でも「好きになれば好きになってもらえる」といった願掛けのような気持ちはあったのかもしれません。
願掛けが通用しないことが分かっていれば、傷つかずに済んだのでしょう。
素直になれない 心地よさ
他人と他人の 馴れ合いを
それなりに楽しんだ
隙を見せるのは これからだった
出典: はにかんでしまった夏/作詞:川谷絵音 作曲:川谷絵音
あやふやなまま始まった恋を、まるで遊びの一環のように捉えている歌詞です。
本心をさらけ出せない状態を「心地よい」と感じてしまう主人公。
何とも思っていない相手には本音でぶつかることができます。
ついつい本心を隠してしまう理由は、相手に恋をしているからにほかなりません。
あやふやに始まった恋を「恋だ」と実感できる瞬間が心地よいのでしょう。
相手の気持ちを推し量って相手が喜ぶような言動をとり、互いに満足感を与え合います。
これもまた遊びのようですね。
主人公は、恋愛ごっこのような関係から「ごっこ」を取り去る計画を立てていたのでしょうか。
距離感が奪われる
短い筒の穴から覗く
視野の狭い愛情を送り合った
そんなことしてたら
触れ合える距離に 君はいなかった
出典: はにかんでしまった夏/作詞:川谷絵音 作曲:川谷絵音
筒から見るということは、左右どちらかの目を使って相手を見ているのだと推測できます。
丸の中には確かに相手が見えているのに、なぜ距離ができてしまうのでしょうか。
人間の目は左右二つ。何かひとつの物体を見ている場合でも、左右それぞれの目が受け取る物体の位置情報は微妙に異なります。
このズレがあるからこそ、物体を立体物として捉えることができるのです。
このことから、筒から片目で見ると相手を立体視しにくくなると考えられます。
また、物体までの距離を感じるために周囲にある建物や人物の大きさを手がかりにすることもあります。
もしも筒越しの円の中に「君」以外の存在が映っていなければ、距離感が掴みにくくなるはずです。
おそらく主人公は率先して筒を使うつもりはなかったのでしょう。
気づいたら筒を手に持ち、片目に当てていたのです。
つまり「君」しか見えなくなっていたということですね。