男性が女心を描いた時代

葛城ユキ【ボヘミアン】歌詞の意味を徹底解説!一人の男と出会って女は変わった?待つ恋愛も悪くないかもの画像

ボヘミアン 恋の矢の痛みに嘆く
あなたの愛が 今もぬけない

ボヘミアン ためらいがちのさよならと
"また来る"の 言葉残して立ち去った男

出典: ボヘミアン/作詞:飛鳥涼 作曲:井上大輔

私は完全にあなたの恋の矢に射抜かれてしまいました。

この歌「ボヘミアン」にはアルコールは登場しないのですが、背景に夜のバーなどでの出逢いを見ます。

飛鳥涼は近年、様々なスキャンダルを起こしました。

しかし1983年当時はまだ好青年のイメージしかありません。

インターネットなどがない時代です。

彼のようなスターとお茶の間の距離が遠い時代だったので、アーティストの素顔などは分からないもの。

飛鳥涼は音楽家として日本中をライブツアーしている身です。

ツアー先でこのような出逢いがあったのかもしれません。

日本中を旅して回ることで生活できる職業は限られています。

ライブツアーで全国を回るアーティストはそうした職業の数少ない実例でしょう。

果たして飛鳥涼はあなたに自分の姿を投影したのでしょうか。

中々、興味深い疑問です。

「ボヘミアン」であるあなたはどこかに後ろめたさがあるのでしょう。

去り際に「また」とはいいますが、再会について具体的な約束はまったくできないようです。

いい加減な男性像が浮かぶのですが、私はあなたに夢中。

この辺りの構成を見てゆくと、やはり男性が女心を描いていた時代の「無理」な側面に気付きます。

すでにニューミュージック畑では様々な女性アーティストが自分の言葉で女心を描いていました。

歌謡曲にこの構造が持ち込まれて中島みゆき竹内まりやなどの作詞家が女性アイドルに曲提供し始めます。

「ボヘミアン」はちょうど時代の移り変わり、その境目の作品ではないでしょうか。

女性と自由な生き方

「ボヘミアン」から学ぶ自由

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ボヘミアン 自由に飛び回ることなど
忘れてた 女に愛くれた男

一夜に燃え落ちて 甘い夢見て
狂おしく抱きしめた あなた旅人

出典: ボヘミアン/作詞:飛鳥涼 作曲:井上大輔

もうすぐクライマックスです。

この辺りで歌詞の傾向が変わり始めます。

女性が自由を謳ってもいい時代がついに来たのかもしれません。

日本は長い間、男性社会が続きますが、バブル期に向けて社会の中で女性が輝き始めます

葛城ユキという「女ロッド・スチュアート」が活躍する時代の到来もそのひとつです。

この傾向にアン・ルイスなどの女性アーティストが連なります。

あらゆる女性性が尊ばれる社会にはまだ遠いでしょう

しかし時代の変化は急に訪れるものではありません。

ゆっくりと変化が訪れるうちに革命が生じるのでしょう。

私自身が自由を謳歌することを「ボヘミアン」であるあなたの生き方から学び直します

こんな自分だって自由に恋していいのだと私は気付くのです。

卑屈さの中に私を閉じ込めていた時代は過ぎ去りました。

私はあなたによって恋の喜びを知ります。

できればもう一歩進んで、好きに恋愛をできるようになるといいのですが。

まだ私は「ボヘミアン」であるあなたの引力に遠い方から惹かれ続けています。

それでも私は私なりに幸福を追求し始めました。

このことは私という女性にとっては大きな一歩なのです。

飛鳥涼による歌詞は一貫して幸福の追求がテーマであるかもしれません。

何でも明るくハッピーにというものではなく、しっかりとした幸福を追い求めることを真面目に肯定。

1980年代後半には光GENJIへの楽曲提供でバブリーな雰囲気を醸し出した飛鳥涼。

しかし「ボヘミアン」で真剣に追い求めた幸福というものは、しっかりと見ていかないといけません。

私もいつしか「ボヘミアン」

根無し草でも暮らせた時代

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ボヘミアン あなたは はかなきリフレイン
私もあなたを 待つボヘミアン
ボヘミアン

出典: ボヘミアン/作詞:飛鳥涼 作曲:井上大輔

「ボヘミアン」という流浪の民の物語はまだまだ続くようです。

歌詞はここで終わりますが「ボヘミアン」はこの先も流浪を続けます。

あなたを待ち侘びている私までもが「ボヘミアン」を自称するようになるのです。

待つことを続ける人が「ボヘミアン」であるというのは矛盾しているように感じます。

しかし私は愛に関しての「ボヘミアン」になってしまったという解釈が可能でしょう。

いつ帰ってくるかも分からない男性を待ち続けるのですから健気なのですが。

一方で心というものに安定が訪れない状態が続きます。

心に安住の地がない「ボヘミアン」

根無し草のように夜の街であなたの幻影を追い続けます。

日本社会で企業社会からあぶれた人にも居場所ができる余裕が生まれた時代でもあるでしょう。

この先のバブル経済期では企業に縛られない生き方としてフリーターが社会的に認知されます。

彼らも根無し草であり、社会を流浪する「ボヘミアン」であったのかもしれません。

マスメディアが新しい生き方として、このフリーターのような存在を奨励します。

しかし経済の不況が長く続く「失われた30年」の中でフリーターは凋落。

正規雇用と非正規雇用とで格差社会の象徴になります。

現代社会と「ボヘミアン」

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今の時代に「ボヘミアン」であることは「負け組」のレッテルを貼られそうです。

経済が豊かでないと「ボヘミアン」のような生活スタイルを持つ人々には恩恵が届かない。

この楽曲「ボヘミアン」は1983年という日本社会と経済の絶頂期に向かう時期の象徴的な作品

今の時代では昭和歌謡として楽しまれるか、カラオケで懐かしの歌として唄われるくらいしか出番がない。

そうした一連の付随する物事を本質的に見つめ直すと怖くなります。

しかし「ボヘミアン」の私も幸せを追求していいのかという問いはとても大切です。

誰しもに幸福を追求する権利があります

恋愛隠れたカースト制度は未だに遺っていますが、そうした嫌な空気を打ち破ることが大切。

飛鳥涼が書いた「ボヘミアン」の歌詞はこの先も大きな意味を放ち続けるでしょう。

身の程知らずなどという言葉はこの社会から一掃されて構わないのです

「ボヘミアン」であるあなたとの出逢いだけで私は変わりました。

私も「ボヘミアン」のように自由になることを知ったのであり、そのことはとても勇気になる出来事です

今回の記事でもう一度、葛城ユキの「ボヘミアン」を聴き返すことができて幸運であります。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。

OTOKAKEで振り返る作詞家・飛鳥涼の軌跡

初々しい時代の飛鳥涼

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