日常生活には悲しいことや辛いことも付き物です。

しかし、そういった気持ちは大人になれば「私情」と呼ばれてしまいます。

「私情を職場に持ち込むな。」などというフレーズもあるほど。

他ならない自分の気持ちなのに、人の目がある時にはそちらを優先すべきだという考え方です。

本当は辛くても、いつも通りの自分を装う。

そんな生活への疑問や苦痛が感じ取れます。

また歌詞中にある「ド」というのが何かははっきりしません。

音階の「ド」なのか擬音語の「ド」なのか。

いずれにしても家の窓や扉を開けた状態は、他人の視線が入ってくる状態です。

そんな状況で自分の好きなことをしようにも、思い通りに出来ません。

何故なら無数の目がこちらを見つめてくるからです。

辛い世界からの脱出

計画とは何か

目を開いてロックをしたなら
計画スタートの合図

出典: 目と目と目と目/作詞:谷口鮪 作曲:谷口鮪

ここでの計画とは、視線にとらわれず自由になるということでしょう。

ただし好き勝手やるという意味ではありません。

視線を気にする自分を脱ぎ捨て、ありのままの気持ちをあくまで自分の中で表現するということです。

悲しい時には涙を、嬉しい時には笑顔を、素のままの自分で表現する計画なのでしょう。

とはいえ相手に直接自分の気持ちをぶつけるのも不躾になってしまう場合があります。

そのためあくまで自分の内心で、素直な気持ちを温めるというのがこの計画

自分の素直な気持ちが分からなくなってしまわないよう、この計画は非常に大切です。

周囲など気にしない

目を伏せるななんともないさ
罵詈雑言、鼓膜で鳴っても
目が渇けばハッチを開けて脱出し
涙を流せ
目を見合って窮屈な世界から
逃げ出してやるのさ

出典: 目と目と目と目/作詞:谷口鮪 作曲:谷口鮪

視線の交錯する世界を「窮屈」と表現しています。

また、それを「ハッチ」とも。

ハッチは視線の飛び交う窮屈な社会を意味しているのでしょう。

その世界から実際に脱することは出来ませんが、精神的に解放されることは出来ます。

おそらくここでの計画とは、他人を気にしないマインドを作るということでしょう。

何を言われようが相手にしない、気にしないという強いメンタルです。

それは「逃げ」ではありません。

なぜなら自分はより一層目を開いて相手と対峙しているからです。

歪んだ視線への恐怖

視線に耐えうる大人たち

背を比べて優越感に浸って
大人になってる
目、たくさんの目、暗闇で
ニャアニャアニャアニャア猫みたいだ

出典: 目と目と目と目/作詞:谷口鮪 作曲:谷口鮪

大人になっていくにつれて数々の視線に慣れていきます。

同時に、他人を目で見て判断したり比較したりすることにも慣れていくのです。

気付かない内にたくさんの目に評価されている

それもそれぞれの勝手な尺度で。

そういった状況をこの歌詞では表しているといえます。

視線と同時に感じるのは勝手な評価を並べ立てる大人たちの声。

まるで夜中に騒ぎ立てる猫のような喧騒に嫌気がさします。

このくらい目を敏感に意識していると、普段の何気ない視線にも恐怖を感じますね。

目を見開く必要性

時にはわずらわしさを感じる多くの視線。

ではなぜこんな気持ちになってまで目を開き続ける必要があるのでしょうか。

その答えはこの歌詞にあります。

関係ないよと言ってしまえば
本当に関係なくなっちゃうから
そうなる前に目を見開いて
開いてもっと、開いてもっと
さぁ、僕らの間は一体
何と何で繋がるのか
1.2.3.4目を開いて

出典: 目と目と目と目/作詞:谷口鮪 作曲:谷口鮪

そう、結局社会に出ている以上は目を開いていなければいけないのです。

ただ目を開けているということではありません。

必要な情報をキャッチし、相手の顔色をうかがう

そして相手を評価し、評価されるということが目を開いている状態、といえます。

当たり前のようですが、これが出来なくては社会での適応は難しいでしょう。

逆に目を開けているだけで私たちはそれだけのことを無意識に行っているのです。

本人の意思にかかわらず、社会や人とのつながりにとって目を開いていることは重要といえますね。

目がつなぐ人間関係

目を閉じるということ