はじめに

千昌夫「夕焼け雲」の歌詞に迫る!帰りたいけど帰れない…その理由とは?切なくも美しい人生を見るの画像

千昌夫の代表曲「夕焼け雲」をご紹介します。

楽曲としても素晴らしいものがありますが、今回は歌詞にスポットを当てました。

「夕焼け雲」の歌詞のモチーフは、当時の千昌夫の人生そのものです。

千昌夫の人生というと、2度の結婚、不動産事業で大成功するもバブルが崩壊。

浮き沈みがあるイメージが強いかと思います。

そして上手くいかなかったとしても必ず復活するバイタリティーがありますね。

ただ、当時の千昌夫は大ブレイク前でした。

これから大きく羽ばたこうとする原動力がここにあるような気がします。

どうぞご覧ください。 

「夕焼け雲」とは

千昌夫「夕焼け雲」の歌詞に迫る!帰りたいけど帰れない…その理由とは?切なくも美しい人生を見るの画像

20枚目のシングル曲

「夕焼け雲」は千昌夫の20枚目のシングル曲です。

この曲は76年発売、翌年は発売された「北国の春」がロングセラーとなりヒットしました。

そのため、「夕焼け雲」の認知度は「北国の春」に埋もれてしまっている感があります。

もちろんどちらも千昌夫の代表曲には変わりありません。

「夕焼け雲」推しの私からすると、ちょっと寂しい気がしますね。

この歌詞の概要

作詞を担当したのは、横井弘です。

昨今の歌謡曲では、サビは同じフレーズを繰り返す歌詞が主流ですね。

ところが「夕焼け雲」は、1番、2番、3番それぞれ別の内容が与えられています。

もうそれだけで贅沢ではありませんか。

古き良き時代を感じますね。

少々おおげさかもしれませんが。

歌詞の全体像としては、故郷を離れた主人公が思い出を振り返っています。

帰りたいという思いを抱きつつもそれが叶わないというものです。

この歌詞は、千昌夫に重ねて書かれていると思われます。

なので、これより後は主人公ではなく千昌夫と記すことにします。

歌詞の意味

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1番の歌詞

夕焼け雲に 誘われて
別れの橋を 越えてきた

出典: 夕焼け雲/作詞:横井弘 作曲:一代のぼる

ひとり故郷を捨て、都会に出てきた千昌夫。

その日は夕焼けが、美しく曇り空を染めていたのでしょう。

その美しい夕焼け雲に都会での暮らしを重ねて、さも誘い出されたかのように綴っています。

どこの地方から外に出るときでも、だいたいは大きな川を越えると隣の町になりますね。

川を越えることは当時、とても大きな意味があったのかもしれません。

そのような別れの橋は電車の車窓から見たものでしょうか。

それとも、地元を出るときに町外れの橋まで家族や仲間が見送ってくれたのでしょうか。

千昌夫が東京に出てきたのは1960年代前半、新幹線の開業が1964年(東京-大阪間)です。

岩手から東京まで普通の列車で出たことを考えるとかなり遠くにきた感覚があったと考えられます。

帰らない
花が咲くまで帰らない帰らない

出典: 夕焼け雲/作詞:横井弘 作曲:一代のぼる

ここでは、都会でひと花咲かすまでは地元には絶対帰らないという決意を表しています。

日本が急激に成長し始めていた時代背景も考えると、同じように都会へ出てきた若者は多かったはず。

そのような方達の共感を呼んだのでしょうね。

今では、地方にいてもさまざまな夢にチャレンジできます。

都会へ出よう思ったら、当時よりも簡単に出てくることが可能になりました。

便利ではありますが、「俺は成功するまで戻らねぇよ」と覚悟を決めるのが難しい時代とも言えそうです。

誓いのあとの せつなさが
杏の幹に 残る町

出典: 夕焼け雲/作詞:横井弘 作曲:一代のぼる

千昌夫当人が出て行ってしまった後には何が残っていたでしょうか。

「成功するまで帰らない」という約束、行ってしまった寂しさ、ではないでしょうか。

甘くて、ちょっと酸っぱい杏の木をモチーフに持ってくるところが素敵ですね。

もっとも岩手は杏の木の産地なので、本当に杏の木があったというのもあるでしょう。

2番の歌詞