中毒性のある楽曲

ピノキオピー【ぼくらはみんな意味不明】(唄:初音ミク)歌詞の意味を解釈!イミフだからこそ持つ信念とはの画像

今回ご紹介するのは大人気マルチクリエイター、ピノキオピーさんの「ぼくらはみんな意味不明」という楽曲

2017年4月4日にニコニコ動画で公開されました。

歌詞の内容としては「何となく過ぎていく日常や常識に対して問題提起する」という内容。

普段当たり前だと思っているようなことを、どんどんと掘り下げていき、考えさせられますよ。

ピノキオピーさんの得意とする「言葉選びのセンス」が光っている楽曲といえるでしょう♪

サビではパワフルなメロディが心を鷲掴みにしてくれます。

思わず一緒に口ずさんでしまうような、シンプルなメロディライン。

それに本当に的確に言葉がのっていて、中毒性を感じるのが魅力です!

MVをチェック

今回もピノキオピーさん自身がMVのイラストを手掛けているので必見ですよ!

映像はYuma Saitoさんが担当。

それではピノキオピーさんの個性が光るMVをどうぞご覧ください♪

登場するシンボルの意味

いかがでしょうか?

全体的に赤と黒を基調とした和風テイストで、リアリティのある大仏や銅像が重圧感を与えます。

他にも招き猫やダルマ、鳥居、狐の姿をした御食津神。

登場するシンボルはどれも古くから「当たり前に」ご利益があるなどと信じられてきたものですね。

これらは「ぼくらはみんな意味不明」の歌詞の内容を象徴しています。

というのも、前述したように、この楽曲では「当たり前に信じられている事柄」への問題提起がなされます。

「どうしてそうだと思っているの?」

「なぜそれが当然だと思っているの?」

そう面と向かって聞かれると、「そう教えられたから」という曖昧な回答しかできない自分に気が付かされます。

この楽曲に信仰に対する否定的な意味合いはないでしょう。

ただ、思考をストップさせて鵜呑みにし続けることに「疑問」を投げかけているのだと思います。

1+1は2

ニコニコ動画にアップされた際の動画の詳細には「1+1は2です。」と記載されています。

これも一般的に「当たり前」だと思っている事柄の一つですね。

「1+1」が他の数字になり得る訳がありません。

しかし、そんな考え方に対して問題提起しているのかもしれませんね。

どんな意味がこめられているのでしょうか?

歌詞の内容から一緒に読み解いていきましょう。

何となく過ぎていく日常

平和な日常に違和感

夜が明ける 朝目覚める 首痛める この身体に自分がいる
君と喋る 飯を食べる 服を着てる そのすべてが不気味である
なんか変だ 変だ 変だ 変だ 駅の改札通り抜ける
こんな平和 平和 平和 平和 当たり前でウケる

出典: ぼくらはみんな意味不明/作詞:ピノキオピー 作曲:ピノキオピー

「首」を痛めてしまうというのは、寝違えてしまったのでしょう。

普段は無意識に感じていても、痛みを感じた時、自分の身体という存在をより意識するようになります。

そして、この楽曲の主人公は何か「違和感」を感じながら「当たり前の日常」を送っているようです。

決まった時間に食事をとる。

当然のように服を着る。

いつもの通勤・通学経路である改札を抜ける。

ごくごく一般的な日常の風景に見えますね。

それを最後に「ウケる」と表現。

植え付けられた「平和な日常」の概念に自ら従っている姿を嘲笑しているのではないでしょうか。

「疑問」に思うことのない常識

猫の名前は なんとなくタマで
犬の名前は なんとなくポチだ
世界は世界は なんとなく終わりそうで
存在を抱えたまま 夕焼けに溶けていくよ

出典: ぼくらはみんな意味不明/作詞:ピノキオピー 作曲:ピノキオピー

どこの国でも動物の名前に使うテンプレートのようなものがありますね。

あれって、どうして決まっているのでしょう?

でも「まぁ、そういうものだからいいや」と思い、特に疑問に思う機会はないですね。

そして、現代では世界が滅亡しうる様々な「リスク」が問いただされていますね。

環境問題や世界情勢…。

そういった問題をメディア越しに知りつつも、結局はただただ毎日が過ぎていくだけ…。

このフレーズではそんな「疑問を持つことなく流れていく時間に価値が見いだせない状態」を表現しているのだと思います。

笑っていたい