生きてる意味も 頑張る意味も
ないないない無駄かもしれない
千年後何も残らないけど それでも君と笑っていたい
ぼくらはみんな意味不明だから
ぼくらはみんな意味不明だから
出典: ぼくらはみんな意味不明/作詞:ピノキオピー 作曲:ピノキオピー
いつの間にか過ぎていく平和な日常に価値が見いだせない。
そんな中で、「頑張って」とか「必死に」生きる目的も見つけ出せないようです。
日本はとても豊かになり、容易に幸せが手に入る国になりました。
…と、よくメディアなどで報道されていますね。
正直、筆者も豊かになる以前の日本を経験していないため、聞いた話でしか想像できません。
でも案外、辛い境遇にいる人ほど、少しの幸せで心が満たされるのではないかと思います。
前述した「古来からの言い伝え」も、何かを信仰することで安心感が得られたのではないでしょうか。
現代の飽和しきった平和の中は、安全である反面、自ら動かないとメリハリが生まれないでしょう。
将来何も残らないかもしれない。
もう今の日常に意味なんて見いだせない。
決められた概念の中を無個性に生きる他ない。
それでもひとつ、主人公が望んでいることがありますね。
「君」と笑い合うこと。
例え自分の人生が無駄になったとしても、それだけは純粋に望むことができるのでしょう。
「固定概念」じみたものは一切なく、心の底からの想いだと読み取れますね。
なぜ「意味がない」と感じるのか
軟禁されたような思考
月が昇る 星が光る 虫が跳ねる それを見てる
あれいつからここにいるんだっけ いつまでここにいられるんだっけ
何物にもなれないままで 化け物から逃れてるだけ
座敷牢でイメージを浮かべて ストップした思考は敵だらけ
出典: ぼくらはみんな意味不明/作詞:ピノキオピー 作曲:ピノキオピー
「座敷牢(ざしきろう)」とは、軟禁するための施設のこと。
「ぼーっ」と目の前で起きる現象を眺めながら時間が過ぎる日々。
ただ「不幸」を避けて「恐怖」から逃れるために生きる日々。
これをもっと身近にイメージしやすい表現に置き換えてみましょう。
「嫌われたくないから愛想を振りまく。」
「将来不幸になりたくないからいい企業に就職する。」
そんな「ネガティブ」を原動力にした行動には、よくよく考えると「ポジティブ」な目標が見当たりません。
ミスしないように選択していく人生は「座敷牢(ざしきろう)」にいるよう。
「敵」とは、失敗した自分を責める恐れのある人のことを指し示しています。
不幸にならないために生きているつもりが、段々と無価値でがんじがらめな人生へと陥ってしまったのでしょう。
「星空」とはどんな意味?
太郎の名前は 今でも太郎で
次郎の名前は 今では花子だ
時間は時間は なんとなく通り過ぎて
ゴミ溜めで埋もれたまま 星空を眺めてるよ
出典: ぼくらはみんな意味不明/作詞:ピノキオピー 作曲:ピノキオピー
「次郎」と「花子」では性別の壁すら超えていますね。
それぐらい「理屈のない常識」を与えられても納得しないといけない。
「疑問」を口に出さずに生きていくしかない。
そんな受け身な現状を表現しているのだと思います。
最後の行に注目してみましょう。
主人公はゴミに埋もれながら美しい「星空」を眺めています。
わずかながら「現状打破したい」という思いが感じられる表現ですね。
今のまま「理屈のない常識」に縛られるだけで生きていくつもりはないのかもしれません。
大切にしたい人
愛する意味も 恋する意味も
ないないない嘘かもしれない
1+1もよくわからんけど それでも君を守っていたい
ぼくらはみんな意味不明だから
ぼくらはみんな意味不明だから
出典: ぼくらはみんな意味不明/作詞:ピノキオピー 作曲:ピノキオピー
「1+1」という表現が出てきました。
ここまで、与えられた概念を抵抗することなく受け入れる姿が描かれていましたね。
同様の意味合いと考えると、学校教育で教わった「これが正しい」という事実を述べているのかもしれません。
「1+1は2」という概念は、「疑問」を持つまでもなく理解するよう教育されます。
そのおかげで、どんな境遇の人でも義務教育を受ければお金の勘定などができるという利点がありますね。
でも、これは「概念」を鵜呑みにしてきた原点ともいえる経験なのでしょう。
そして1行目に戻ります。
「愛」や「恋」といった感情。
豊かな人生を送るうえで不可欠ともいわれていますね。
しかし、現代では「人を好きになれない若者」が増えています。
「愛する事は素晴らしい」といわれても、ピンと来ない人は案外多くいるのではないでしょうか。
ところが、ここでも1つ、純粋な気持ちが綴られています。
3行目の「それでも~」を見てみましょう。
「愛」や「恋」が素晴らしいだの、「1+1は2」だのはもうどうでもいい。
ただ「君」を大切にしたい。
投げやりな言葉の中にふと現れるので、重みがありますね。
固定概念を覆す
「正しい」か「間違っている」か
それでもぼくらはトンネルで息を止める
折り紙で鶴を折る
肉球を触る
横断歩道の白い部分だけを踏む
それでもぼくらは間違ったことをする
正しいと思い込む
頭いいからわかっていた
また分かった気になっていたんだ
出典: ぼくらはみんな意味不明/作詞:ピノキオピー 作曲:ピノキオピー
次々と無意識の行動が列挙されます。
いずれも、聞いてみてハッとさせられることばかりですね。
それが「正しい」か「間違っている」か吟味せず、鵜呑みにしている。
だからこそ「正しいと思いこむ」という表現がされています。
さらに、それらの概念を「正しい」と理解する自分は「頭がいい」と思っていたようです。
でもそれも「自分は頭がいい」を思いたいがために、理解した気になっていただけなのでしょう。
また、概念を信じていないと「すがりつくもの」が無くて不安定になってしまう場合も多くあります。
信仰には精神を安定させる作用があるのです。
考えることを恐れる人は特に、あらゆる物事において何かを信仰するようになります。