賛否を呼んだ「防人の詩」
モチーフは万葉集
1980年7月10日発表、さだまさしの通算12作目のシングル「防人の詩」。
当時は夏になると必ずといっていいほど戦争映画が上映されています。
「二百三高地」もそうした映画のひとつなのですが日本が勝った戦争である日露戦争を描きました。
そのため作品は戦争賛美の映画と評されて大多数の映画評論家から批判を浴びます。
実際の203高地戦は無謀な戦争の姿を露呈した作戦であり、たくさんの死者を出しました。
国のために無謀な作戦で散った人を美化する映画が後世の人を納得させるかどうか意見が割れます。
結果、映画「二百三高地」はおしなべて「極右的映画」との烙印を捺されました。
実際に日本映画史上に残るような名作というのは疑問が付く焦点のぼやけた作品で残念です。
そうした映画の主題歌であったためにさだまさしの「防人の詩」は長い間、その真価を理解されません。
「さだまさしが変節した」
そんなバッシングが起こります。
さだまさしがこの曲で描きたかったものとは何であったのか。
映画「二百三高地」の記憶が薄れた今でこそ楽曲「防人の詩」を単体で再評価できます。
万葉集からモチーフを得て書かれた歌詞の真相に迫りましょう。
万葉人の特異な感性
海も山も死ぬということ
おしえてください
この世に生きとし生けるものの
すべての生命に限りがあるのならば
海は死にますか 山は死にますか
風はどうですか 空もそうですか
おしえてください
出典: 防人の詩/作詞:さだまさし 作曲:さだまさし
この有名な問いかけは万葉集から採用しています。
作者は不明の歌です。
以下、かなをふった現代訳です。
「鯨魚取り 海や死にする 山や死にする 死ぬれこそ 海は潮干て 山は枯れすれ」
Wikipedeiaに従うと以下のようになります。
鯨魚取 海哉死為流 山哉死為流 死許曽 海者潮干而 山者枯為礼」
読み:いさなとり うみやしにする やまやしにする しぬれこそ うみはしほひて やまはかれすれ
意味:海は死にますか 山は死にますか。死にます。死ぬからこそ潮は引き、山は枯れるのです。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/防人の詩
潮の満ち引きに現代の私たちは生死を感じはしません。
しかし万葉人たちの感性では潮が引くのは海が死んだことなのだということになるのです。
また秋や冬に山の木立が枯れてゆくのを現代の私たちは山が死んだと感じはしません。
万葉人たちはそこに死を見つけます。
現代の私たちの感性とは違ったものを古来の日本人は持ち合わせていました。
万葉人の感性に従ってさだまさしの問いかけに答えるのならば海も山も死ぬとなります。
風もやむときは死ぬときです。
空も荒れ狂うときは死ぬときでしょう。
万物が生命体であり、その限りで万物に等しく死が訪れます。
地球そのものを一個の生命体と考える思想。
やがてこの惑星自体が死ぬ日もくるのです。
海、山、風、空。
これら不動と思われるものでさえ生き死にがあるのですから私たち人間の生はもっと儚いだろう。
そんな気になります。
さだまさしの問いかけが誰に向かっているのかは謎です。
万物を司る神なのか、或いは万葉人の智慧なのか、リスナーの私たちに問いかけているのか。
問いかけられた主体によって答えも違います。
しかし万葉人たちの答えに従って考えるのは思考のレッスンとして最適解です。
古くからの先人の智慧にあやかりましょう。
さだまさし、20代の問いかけ
老成した死生観
私は時折苦しみについて考えます
誰もが等しく抱いた悲しみについて
生きる苦しみと 老いてゆく悲しみと
病いの苦しみと 死にゆく悲しみと
現在の自分と
出典: 防人の詩/作詞:さだまさし 作曲:さだまさし
生きている限り人は何かしらの苦難と遭遇します。
戦争状態にあるうちは特に兵士に負担がかかるもの。
日露戦争は市民を巻き込まなかったのですが、太平洋戦争での戦災は悲惨を極めました。
「防人の詩」はタイトルこそ戦争の匂いを感じますが、一方でもっと普遍的に人々の人生を照らします。
誰もがはっとするのはさだまさしが20代のうちにこの曲の歌詞を書き上げたことです。
その死生観の鋭さは特筆に値するもの。
老いて死ぬということの過酷さを苦しみという観点からアプローチするのは若いからこそかもしれません。
それでも生と死をしっかりと見据える視点がなければ書けない歌詞です。
実際には苦難の一色で塗り固められる人生を送る人はいません。
しかし楽しいことよりも苦しいことに敏感な感性を持つ人は一定数いるものです。
人生に苦難がなければ人は神に祈ることなどなかったでしょう。
人類は苦難を超克することで進歩してきた生物でもあります。
どんな時代も苦難が人々を待ち受けていますし、戦争状態のときはさらに厳しいことになる。
上官にとって末端の兵士は駒です。
特に203高地戦でも日本の軍部や大本営は無能でした。
実際は軍事的見地でも大して重要な価値を持たない203高地の攻略のために兵士がバタバタと死んでいく。
203高地戦がなければ日露戦争の勝利はもっと早かったともいわれています。
この世に階級社会がある限りこうした戦争の悲劇は根絶できないかもしれません。
兵士の死は遺された家族にただならぬ悲しみをもたらします。
「お国のために」
そう洗脳された社会は死さえも名誉などに引き換えようとします。
怖ろしいことです。
一回性の生命を生ききる
季節にも生と死がある
答えてください
この世のありとあらゆるものの
すべての生命に約束があるのなら
春は死にますか 秋は死にますか
夏が去る様に 冬が来る様に
みんな逝くのですか
出典: 防人の詩/作詞:さだまさし 作曲:さだまさし