北海道が生んだ大スター・松山千春

松山千春『長い夜』は発売を反対されていた!?気になる真相&異色のロック曲と言われる今作を徹底紹介!の画像

今でこそスキンヘッドと派手なファッション、強面なオジサンというイメージが定着している松山千春ですが、若い頃はアイドル並みの人気を誇るアーティストでした。

そんな松山千春1955年12月16日生まれの61歳(2017年で62歳)、北海道足寄群足寄町出身です。

同じ北海道出身という縁で、政治家・鈴木宗男氏と親しい間柄なのは有名で、選挙の歳は鈴木氏の応援に駆けつけました。

さらにGLAY中島みゆき、力士・北勝海信芳(現八角親方)など同じ北海道出身の著名人と交流があります。

デビュー前「全国フォーク音楽祭」出場するも落選

デビュー前の1975年、当時フォークソング全盛期だったころ松山千春「全国フォーク音楽祭」北海道大会に出場するも落選

これにより芸能界デビューの門が閉ざされたかに思われましたが、大きなチャンスを掴みます。

1976年北海道のラジオ局・STVラジオ「サンデージャンボスペシャル」という番組でデビューしました。

人気深夜ラジオ「オールナイトニッポン」で全国区に

1977年10月にスタートした「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)の水曜2部のパーソナリティに起用されました。

その歯に衣着せぬ毒舌ぶりが人気となり、瞬く間にその名は全国に広がりました。

伝説の名曲「長い夜」リリース

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1981年4月、松山千春10枚目シングル「長い夜」がリリースされ、オリコン・シングルチャートで1位を獲得しました。

累計86.6万枚を記録した同曲は、松山千春史上最も売れた曲となったのです。

紆余曲折あってリリースまでに数々の困難があった「長い夜」は、松山千春自身「ヒットは意外だった」と述べています。

フォークからロック調へ

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それまでの松山千春はフォークソングを歌ってきたのですが、「長い夜」のレコーディングの際、ギタリストでアレンジャーの松原正樹のアドバイスによりロック調に編曲されました。

スタッフはシングルリリースに猛反対

スタッフの間では、今までの松山千春とイメージが違い過ぎるシングル発売に反対する意見も多数あったそうです。

そんなスタッフたちの反対を押し切ってリリースした「長い夜」は見事大ヒット。

「ザ・ベストテン」(TBS)では1位を獲得し、テレビ嫌いの松山千春は富山のコンサート会場から生中継で出演しました。

1981年オリコン年間チャート5位「ザ・ベストテン」年間3位を獲得し松山千春の代表曲となったのです。

歌詞から紐解く「長い夜」

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それまでのフォークからロック調に変わった松山千春の大ヒット曲「長い夜」(作詞・作曲:松山千春)歌詞から、歌の真意を紐解いてみましょう。

熱い情熱的な恋の歌

恋にゆれる 心ひとつ
お前だけを 追いかけているよ
おいでここへ ぼくのそばに
燃えるよおな くちづけをあげる
長い夜を 飛びこえてみたい
お前だけに この愛を誓う
重ねた腕の ぬくもりに
とまどうふたり

出典: 長い夜/作詞:松山千春 作曲:松山千春