「渋谷系」の代表曲

華麗なる「引用」

【東京は夜の7時/ピチカート・ファイヴ】歌詞解説!どこか感じる都会の空虚さ…その世界に浸ろうの画像

1993年にリリースされた「東京は夜の七時」は、ピチカート・ファイヴの5thシングル

子供向けテレビ番組「ウゴウゴルーガ2号」「オープニングのうた」でした。

グループの代表曲であると同時に、「渋谷系」と呼ばれたJ-POPの代表曲でもあります。

都会志向のオシャレな音楽として、90年代の音楽シーンを席巻した「渋谷系」。

「渋谷系」の線引きは曖昧ですが、その音楽的手法には、ある共通点がありました。

それはジャンルを問わず、古今東西のあらゆる音楽を積極的に「引用」するというもの。

渋谷のCDショップに通い詰め、世界中の音楽を聴き漁ることで得た豊富な知識。

それらを競い合うかのように引用したサウンドを繰り出したのが「渋谷系」でした。

「東京は夜の七時」も、そうしたリスナー体質の引用が見受けられます。

タイトルは、79年に発売された矢野顕子ライブアルバム「東京は夜の7時」から。

「ウゴウゴルーガ」はまさに、毎週金曜夜7時からの放送。

引用するには、ぴったりだったのでしょう。

「7時」を「七時」に変えてみせたところに、引用の奥ゆかしさが感じられます。

しかし、「東京は夜の七時」に付けられた英語の副題「the night is still young」。

85年にビリー・ジョエルが発表したシングルのタイトルそのままです。

さらに、曲中で「Yeah Yeah Yeah Fu」とシャウトするくだりも、あの有名曲からそっくり拝借。

そう、The Rolling Stones「Brown Suger」です。

ピチカート・ファイヴのライブ映像としても楽しめる「東京は夜の七時」。サウンドにもビジュアルにも、アイデンティティーが凝縮されたステージです。

スタイリッシュな「ハウス歌謡」

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「東京は夜の七時」のサウンドは、四つ打ちリズムのハウス・ミュージック風アプローチ。

そこに乗せられているのは、ポップスのように軽やかでキャッチーなメロディーと歌詞

いわゆる「ハウス歌謡」のお手本のような曲です。

84年に結成されたピチカート・ファイヴは、一部の音楽マニアのみが知る存在でした。

90年、3代目ボーカリストとして野宮真貴が加入。

93年には、化粧品CMソング起用のシングル「スウィート・ソウル・レヴュー」がヒットします。

そんな勢いに乗ってリリースされたのが「東京は夜の七時」でした。

独特の艶っぽさと、小悪魔的なクレバーさを感じさせる歌声。

それでいて、抑揚に欠ける歌い回しは、どこか機械的で合成的。

そんな彼女のボーカルにマッチしたのが、当時最先端のサンプリングを駆使したループサウンドだったのです。

まさに、それまでになかった都会志向のスタイリッシュな音楽の誕生でした。

歌詞やサウンドの一部に引用を多用した渋谷系の音楽。

しかし、音楽性そのものは、全く新しいものだったといえます。

都会的な歌詞

「空虚さ」が表すもの

ぼんやりTVを観てたら
おかしな夢を見ていた
気がついて時計を見ると
トーキョーは夜の七時

あなたに逢いに行くのに
朝からドレスアップした
ひと晩中 愛されたい
トーキョーは夜の七時

待ち合わせたレストランは
もうつぶれてなかった
お腹が空いて
死にそうなの
早くあなたに逢いたい
早くあなたに逢いたい

出典: 東京は夜の七時/作詞:小西康陽 作曲:小西康陽

歌詞にはメッセージ性を帯びた言葉はもちろん、情景らしい情景の描写もほとんどありません。

「東京」は「トーキョー」とポップな記号に変換され、架空の街であるかのような錯覚をもたらします。

大都会の喧騒や猥雑さを消し、アーバンなイメージだけを切り抜いたような「トーキョー」。

ドキリとさせられるのは「待ち合わせたレストランは もうつぶれてなかった」という、数少ない情景描写。

「もうつぶれてなかった」というシリアスなシチュエーションを、さらりと歌ってのけます。

「死にそうなの」「早くあなたに逢いたい」といったフレーズのトーンも、同様の軽やかさです。

切迫した歌詞とは対照的に思える、あまりにも都会的で洗練されたサウンド。

 そのアンビバレントな感覚こそが、空虚さを際立たせるのです。

逢えないままなのに

トーキョーは夜の七時
嘘みたいに輝く街
とても淋しい だから逢いたい
トーキョーは夜の七時
本当に愛してるのに
とても淋しい あなたに逢いたい

出典: 東京は夜の七時/作詞:小西康陽 作曲:小西康陽

サビで繰り返される歌詞は「とても淋しい」「あなたに逢いたい」

孤独感をストレートに表した言葉です。

きらびやかに「輝く街」と対比させることで、孤独感はさらに強調されているように思えます。

しかし、どこまでいってもそのサウンドはクールなまま。

「あなた」に逢えない深刻な状況なのに、焦りやいら立ちは微塵も感じられません。

「とても淋しい」と歌う声は落ち込んでいるどころか、弾んでいるようにも。

ネガティブな響きが、まるでないのです。

そして、ここまでの歌詞には気になる点が。

意味ありげな「おかしな夢」の説明が、どこにも見当たらないということです。

一体、どんな夢だったのでしょうか。

もしかしたら、この歌詞のストーリー自体が、夢の中の空虚な出来事なのかも。

「トーキョー」に付きまとう現実感の乏しさは、そんなことさえ想像させます。

「空虚さ」こそがピチカートの魅力

漂うフィクション性

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