初期ユニコーンと3rdアルバム『服部』以降
でも2ndアルバム『PANIC ATTACK』(1988年7月)をリリースしてもシングルは発売されていませんでした。
この2ndアルバムから阿部義晴が加入し、アルバムのクオリティもあがってきました。
シングル『大迷惑』(1989年4月)で完全にブレイクし3rdアルバム『服部』、4thアルバム『ケダモノの嵐』などTVの出演も増え人気になります。
でもアルバムをよく聴けば1st、2ndの間にも楽曲のクオリティの違いがあり、3rd以降は完全に別バンドになっていたと考えることもできます。
ユニコーンの初期の名曲「Maybe Blue」
まるでTHE BLUE HEARTSの甲本ヒロトのように飛び跳ねている奥田民生に驚きます。
The BLUE HEARTSが日本のパンクを飛躍させ、バンドブームを生み出していたことに対して、自分たちの音楽性を模索していた時期。
それがユニコーンの1stや2ndから伺えます。
ビートパンクに影響を受けていた音楽が徐々に自分たちらしさに変わっていった。
オリジナリティというものについて考えてしまいますね。
オーディションで演奏した「SUGAR BOY」
「Maybe Blue」や「SUGAR BOY」そして2ndに収録されている「SHE SAID」などは歌詞や音楽性から考えると明らかにユニコーンというバンドの初期の楽曲と言えると思います。
またwikipediaにはデビュー前から演奏されていたという情報もあります。
奥田民生は老成したロックを響かせる達人と言えますが、そんな彼にも青春時代があり、修行時代があったのでしょう。
もちろんこれらの楽曲から才能は感じられますが、まだユニコーンがユニコーンになっていない、そんな時代があったのだと思います。
ユニコーンの初期の名曲「Maybe Blue」の歌詞を読む
涙かくす長い髪を
震える指でかき上げて
無理に見せる笑顔少し
前よりやつれてる
声にならないつぶやきは
唇の動きでわかる
肩に回した手の先で
一夜限りの合図
出典: http://lyrics.jetmute.com/viewlyrics.php?id=2220684
男と女の一夜限りの情事が歌われています。
これはどちらかと言えば、演歌とか歌謡曲的なアプローチです。
男女の心の機微を描写する。
歌詞の方法として別にいいと思うのですが、作詞のアイデンティティがまだ固まっていない。
音楽はパンクなどの影響を受けて変化していましたが、変化しきれていない歌詞の世界を感じます。
同時にそれはまだ若かったということなのかもしれませんね。
泣き出しそうな窓際のブルー
やりきれないね
そっと 揺れてる心包んで
Maybe blue
冷たい部屋で
かまわない
Maybe blue
くずれるくらい
抱きしめて
出典: http://lyrics.jetmute.com/viewlyrics.php?id=2220684
"泣き出しそうな窓際のブルー"。
これは心の青さをみつめている自分がいるということでしょうか。
ピカソにも青の時代があるように、誰もがまだ何もはじまっていない自分をみつめて、その心を青に例える時期があるのでしょう。
それは憂鬱さを抱えた青なのかもしれません。若さでもあると思います。
この歌詞には後の奥田民生に感じられる達観した男性像が少しもみえません。
ここにあるのは自分を持て余している青です。
だから中性的でもあります。
そして抱える感情を、憂鬱かもしれないと歌っているのでしょう。
感情を女性的、中性的に表現することは、自分の性というものがあいまいな子どもの状態から大人へ移行する間の青年期の特徴でもあると思います。
でもその時にしか表現できない魅力があります。
ユニコーンが封印を解いた「Maybe Blue」
誰でも自分の過去をみつめる時が嫌になる時期があると思います。
若かったなとか、なんて馬鹿なことをやっていたのだろう。
そう自分のことを恥ずかしく思うのです。
それは成長でもあります。
しかし、もっと時間が過ぎれば、若い時にしか表現できなかった青さがあったと気づきます。
その年齢にしか表現できないものがあり、年をとった時にはもう戻れない。
青春時代にしかないものがあります。
ユニコーンがそういう自分たちの若さも自分たちなのだと受け入れ、そしてファンのために封印を解き演奏した「Maybe Blue」。
ファンが感動する気持ちもよくわかります。
とても懐かしいですね。