幻想的な世界を歌う「シーラカンスと僕」
ファンタジーな世界観
幻想的な雰囲気が漂うサカナクション の「僕はシーラカンス」。
作詞作曲を担当した山口一郎の独特な世界観の真骨頂というイメージです。
主人公は自分をシーラカンスに喩えています。
シーラカンスは、一体何を意味するのでしょうか。
そして主人公はどのように生き、何を考えているのか。
歌詞の意味を徹底考察していきたいと思います。
幻想的な歌詞の海にダイヴしてみましょう。
シーラカンスについて調べよう
シーラカンス目は多くの化石種によって存在が知られており、古生代デボン紀[注釈 1]に出現して広く世界の水域に栄えたが、約6500万年前(中生代白亜紀末)の大量絶滅(K-Pg境界)を境にほとんど全ての種が絶滅した。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/シーラカンス
デボン紀は3億5000万年以上前です。
たくさん種類がいたにも関わらず、そこから3億年後にはほとんど絶滅。
しかし、現代も2種だけ生き延びて、生きた化石と呼ばれています。
存在が奇跡のような魚です。
シーラカンスの遺伝子の変化は他種に比べて遅いことが分かった。研究に携わったブロード研究所(英語版)のカースティン・リンドブラッドトー(英語版)は、「地球上には生物が変化する必要がない場所が少ないながらもあり、シーラカンスはそういった環境で生存してきた」と指摘している。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/シーラカンス
上記が歌詞解釈の手助けになりそうですね。
シーラカンスは、進化する必要がないところに住んでいて、遺伝子の変異も他生物と比べてゆっくり。
進化論で説明がつかないような生き物なのでしょう。
まるで、シーラカンスの周りだけ時が止まっているようです。
「シーラカンスと僕」の1番の歌詞
沈む日常
眠れずにテレビをつけたら
夜に見たニュースと同じで
淋しくなったんだ
出典: シーラカンスと僕/作詞:山口一郎 作曲:山口一郎
歌詞の主人公は、モヤモヤとした深夜を過ごしているのでしょう。
特に何も変化がなく、同じようなニュースが繰り返され、意味のなさを感じているのだと思います。
ニュースは情報を得るためのものなので、同じ内容を2回見てもあまり意味はありません。
それ以上に、数時間前から何の変化もないことに苛立っているのでしょう。
彼は変化したいのかもしれません。
何か目標や夢を持っていて、それに向かって少しも進んでないことに焦りを覚えている可能性もあります。
そして遣る瀬無くなったのでしょう。
このまま自分のいる世界は沈み、時が止まってどこにも向かわない。
そう考えると、先ほどのシーラカンスの生態と重なる部分がありますね。
シーラカンスも他の生物が生存競争で変わりゆく中、何億年も変化しません。
深夜が深海
空が海 見上げた雲は泡
深海魚な僕はあくびをして
どこかへ どこかへ行こうとする
泳いで 泳いで
出典: シーラカンスと僕/作詞:山口一郎 作曲:山口一郎
そのまま朝になってしまったのか。
それとも夜のままなのか。
具体的に書いていないのでわかりません。
ただ、深海と言っています。
深海は暗い海です。
なので、夜と考えた方が辻褄が合うでしょう。
主人公は、眠れずに外へ散歩にでも出かけたのかもしれません。
そして自分が立っている場所こそ海の底だと言っているのです。
地表にある酸素や二酸化酸素は気体です。
しかし、水だって気体になりますし、酸素や二酸化炭素、窒素は特定の条件下で液体になります。
広い視点で捉えれば、人間が暮らしている場所も海の底とそんなに変わりません。
少しだけ条件が違うだけなのです。
そう捉えると、歌詞で描けれている風景が見えてきます。
主人公とシーラカンスも、地球規模で考えたら変わらない生き物。
彼は自分と魚を同一視しているのです。