「さくら」とは
2008年解散前に発表されたアルバム「syrup16g」に収録された曲。
メンバーとの別れを隠し事なく歌ったものです。
公式ミュージックビデオを見てみましょう。
ライブの映像の合間に、ときおりモノクロームの、控室や移動する廊下の映像。
気が付くのは、3人のメンバーの間になんの会話もなく、笑顔もないことです。
これは演技などではないでしょう。
さあそれでは、歌詞を読んでみましょう。
歌詞を解説
1番の歌詞
すべてを失くしてからは
どうでもいいと思えた
枯れてしまった桜の花
かき集めているんだろう
くだらない程盛り上がった
無邪気な季節は過ぎた
昨日が未来のかけらなら
明日だって思い出だろう
悲しくて悲しくて
涙さえも笑う
優しさもいとおしさも
笑い転げてしまうのに
さよならさよならさよならさよならだけ
出典: さくら/作詞:五十嵐隆 作曲:五十嵐隆
最初に桜の情景があります。
桜はめでたさを示すと同時に、散った後のさびしさ、空虚感を示すこともある。
あの地面に散らばった花びらの、少し汚れた白さがそう思わせるのです。
歌い手は深い喪失感の中にいます。
そしてなにもかも放棄したくなっています。
そんな空気に、散った後の桜というのが、似合ってしまっているのです。
そして未練のパズルみたいに、花びらを集めているのです。
祭の時間、桜が満開だった時期。
ライブであちこちをまわり、はしゃいで騒いだ時代。
くだらないことばかり会話して日々が過ぎていった時代。
そういう季節の後に、桜が散ったのです。
昨日までは未来を見ていた。
なのに今日からは、明日も明後日も、これまでのことを振り返ってばかり。
そうなるだろうと歌うのです。
2番の歌詞
奪い合うものも無いなのに
言い争う意味はあるかい
悪魔はずっと待ってたんだ
裏切り合う瞬間を
悲しくて悲しくて
涙さえも笑う
優しさも愛おしさも
笑い転げてしまうのに
出典: さくら/作詞:五十嵐隆 作曲:五十嵐隆
2番の歌詞になると、すこしずつ、別れることになる仲間たちへの思いが表れてきます。
感情的ないさかいがあったようです。
奪い合うようでも実はもう共通の目標さえない。
ただ不毛に言い争いが続く。
悪魔の時間という表現は、何を努力しても悪いほうに向かうことを表している。
そうして互いに裏切りの気持ちが芽生え、チームは解体してゆく。
こういうことを、誰もが1、2度は経験することでしょう。
メンバーへの気持ち
遠回りしてた
さよならさよなら
戸惑っていた
さよならさよならだけ
出典: さくら/作詞:五十嵐隆 作曲:五十嵐隆
しかしそんな不毛な争いの時間の中でも感じているのです。
仲間たちへの愛情を。
なぜこんな風になっているのか戸惑いながら探っています。
そうして最後の言葉に行く前に、遠回りをし続けているのです。
最後の言葉というのは、さよならという言葉です。
決定的な、本当の別れに行く前に、なんとか修復の機会は無いか探っている。
内心は、そんな気持ちが続いているのです。
しかしとうとう決断のときが来ます。
そして意を決したように、告げるのです。
さよならと。
この歌詞が幾度も繰り返されます。
花びらが一枚ずつ散ることに重ねるように。
仲間のつながりが、すこしずつ壊れてゆくのを暗示するように。
感謝の気持ち
すべてを失くしてからは
ありがとうと思えた
これはこれで青春映画だったよ
俺たちの
悲しくて悲しくて
涙さえも笑う
優しさも愛おしさも
笑い転げてしまうのに
遠回りしてた
さよならさよなら
戸惑っていた
さよならさよならだけ
出典: さくら/作詞:五十嵐隆 作曲:五十嵐隆
すべてをあきらめた後、感謝の言葉が出ます。
そして、あらためて仲間たちとの時間を振り返る。
青春映画という言葉。
まるで映画のように遠い時代に見えます。
それはやはり幸福な時間で、よく笑えた時代だった。
そして今は、悲しすぎて笑うのだと言います。
悲しすぎて笑うとはどういうことだろう。
すべて抜けて空っぽになって、馬鹿のようになって笑う。
自分の間抜けさを笑う。
世界の空しさを笑う。
涙がにじんだような笑い方です。
これは男らしい悲しみの表現の仕方です。
笑ってお別れをしようという、桜の下の歌い手です。