子供ができたのが原因で、カレに捨てられてしまった。

そういう意味では、心の何処かで子供のことを疎ましく思えた時もあったかもしれません。

妊娠初期はつわりなど、辛いことも多いですから余計に卑屈になっていたことでしょう。

しかし日に日に大きくなったある時、痛みと共に、子供が温かさ、小ささに触れてその感触に気が付きます。

その一筋の光にも似た情景を、胸の十字架が夜を照らしたと表現しています。

ひび割れた声で 涙 涙 涙
枯れたはずなのに涙が止まらない
今このお腹が痛いけど
生きる意味見つけた

出典: 少女の祈りIII /作詞:林保徳 作曲:林保徳

生命(いのち)に触れた感激がまだ残る中、少し痛むお腹を抱え、その子供を産み育てることこそが自分の生きる意味だと悟ります。

初めて流した喜びの涙
いま夜が終わる

出典: 少女の祈りIII /作詞:林保徳 作曲:林保徳

これまで散々流してきた涙、枯れるほど悲しい涙を流してきた後に、初めて喜びの涙を流します。

本当に辛い思いをしてきたからこそ溢れ出る喜びの涙はどのようなものでしょうか。

まるで夜が明けたみたいに晴れ晴れとした気持ちになったに違いありません。

主人公は、命の重さと生きる意味を理解したのでしょう。

【少女の祈りIII/Acid Black Cherry】続編なのに”スリー”の訳は?!歌詞の意味も!の画像

「少女の祈り」との接点

「少女の祈り」との接点について考えて見たいと思います。歌詞は文字数が限られてくる為、前回作と合わせないと見えてこないストーリーもあると考えた為です。

詳しくは、「少女の祈り」にスポットを当てた記事がありますのでそちらもどうぞ。

ABCの「少女の祈り」と「少女の祈り III」の違いは?PVは観れるの?…などなど気になるポイントについてまとめてみました。

痛みがただ嬉しかった
初めてを捧げた14歳の夏 でも愛は逃げた

出典: 少女の祈り /作詞:林保徳 作曲:林保徳

痛みというワードはIIIでも度々登場します。

しかも、どちらも良い感情とセットで出てきます。

だからといって「主人公はMだ」とかそういう次元の話ではありません。

一応、念の為……。

この痛みというものは、生きていると実感する上で重要な感覚です。

死んでたら痛みは感じませんよね。

ここでは、初めてを捧げた時の痛みが実感として嬉しかったことを伝えています。

そして初恋が美しいものでありましたが、一夏の恋で終わってしまいます。

その年の10月に死のうと思ってIIIへと続きます。

一人ママを待ち続けた…
ママがくれた十字架のチェーン…
十字架なんてもういらない…
ただ愛されたかった 少女の祈り…

出典: 少女の祈り /作詞:林保徳 作曲:林保徳

IIIの後半では「胸の十字架が夜を照らした」とありますので、その後も大事にとってあったことになります。

もしかしたら、生きる意味を見つけるその瞬間までママを待ち続けていたのかもしれませんね。

たとえ自分を捨てて出ていってしまった存在(ママや数々のカレ)だとしても、心の何処かで許してしまう。

そのような優しさを持った主人公なのでしょう。

愛されたいという少女の祈りは、IIIでも途中まで続いていきます。

歌詞の意味まとめ

前半ではとにかく不幸続きで落胆と悲しみに満ちたストーリー、後半で生きる意味を見つけ立ち直っていく姿が描かれています。

前項では、自分を捨てたママを待ち続けているかもしれないと書きました。

もしそうだとしたら、それは「まだママに甘えたい」ということでもあります。

依存しているのです。

生きる意味を見つけた主人公は、もはやママを待ってはいないでしょう。

辛い現実を通り過ぎ、弱い自分も甘えた自分も理解した上で自立した一人の女性になったのです。

愛されたいと祈り続けた少女は、愛する喜びを発見して愛を与える方がより幸せなのだと気が付きます。

そういう意味では、少女の成長ストーリーともいえそうです。

終わりに

この歌詞には、辛くとも頑張って生きていれば救われる時がきっとくるというメッセージも込められています。

私は、もうどうにも嫌になった時などにこの曲を聴いていると思いっきり泣けるので重宝しています。

泣いた後はスッキリしてまた頑張れるというのは人間の不思議な機能です。

yasuの生の声がまた聴きたいという私達の祈りも届きますように。

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