悪いのは誰だ
分かんないよ
誰のせいでもない
たぶん

出典: たぶん/作詞:Ayase 作曲:Ayase

相手がいなくなってからちょっとした変化に気づき出した主人公。

そしてその変化を実感しながら、どうして離れることになったのかと考えを巡らせます。

 しかし歌詞を見るに、答えを見つけることはできなかったようです。

何が原因か分からない。

でも君が家を出て行った結果というのは変わりません。

いつもの言葉を出してみるが

僕らは何回だってきっと
そう何年だってきっと
さよならと共に終わるだけなんだ
仕方がないよきっと
「おかえり」
思わず零れた言葉は
違うな

出典: たぶん/作詞:Ayase 作曲:Ayase

おそらく最初のズレは本当に些細なことだったのでしょう。

むしろそのズレを指摘してギクシャクするのが嫌だから、そのまま流しておこう。

誰だって些細な事はそのままにしてしまいがちです。

しかし些細な事も積み重なっていけば大きなズレに変化していきます。

その頃にはもう何が悪かったのか、嫌だったのかなんて分かりません。

なんだかよく分からないけれど、一緒にいるのが辛くなった。

そんな感情しか残らなくなってしまったのでしょう。

主人公も相手が辛い気持ちになるのをなんとなく感じていた。

もしくは主人公自身も少し辛いと感じていたのかもしれません。

だから歌詞冒頭でもあったように、泣くことはなかったのでしょう。

それでも主人公の方は「おかえり」とつぶやいてしまうぐらいには、まだ相手のことを想っています

時間が経っても残る違和感

YOASOBI【たぶん】歌詞の意味を解釈!「おかえり」は誰に向けた言葉?笑ってしまった理由を探る!の画像

一人で迎えた朝に
ふと想う誰かのこと
二人で過ごした日々の
当たり前がまだ残っている

出典: たぶん/作詞:Ayase 作曲:Ayase

別れたからといって相手との思い出がすぐに消えるわけではありません。

一緒に使っていた食器、洗面台にある彼女の私物など。

2人で住んでいた証はたくさんあります。

その証を見るたびに、今は1人なんだという現実を突きつけられるでしょう。

誰のせい?

悪いのは君だ
そうだっけ
悪いのは僕だ
たぶん

出典: たぶん/作詞:Ayase 作曲:Ayase

1番と2番の歌詞で、どうしてこうなってしまったのか考えているような節があります。

そのため少なくとも主人公は別れてしまったことを悔やんでいるようです。

どうして相手は出て行ってしまったのか。

考えても原因は出てきません。

きっかけは小さなズレだったのですから。

ズレを感じたその時に言わなかった相手が悪い。

そう言いたくなる気持ちもほんの少しはあるでしょう。

しかし、それでもやっぱり自分が悪いんだろうな。

そんな結末を変えることができない、どうしようもない感情が読み取れます。

過去と現在

YOASOBI【たぶん】歌詞の意味を解釈!「おかえり」は誰に向けた言葉?笑ってしまった理由を探る!の画像

これも大衆的恋愛でしょ
それは最終的な答えだよ
僕らだんだんとズレていったの
それもただよくある聴き慣れたストーリーだ
あんなに輝いていた日々にすら
埃は積もっていくんだ

出典: たぶん/作詞:Ayase 作曲:Ayase

些細な行き違いから別れるというのはよくあることです。

主人公達もそんな世間一般的な恋愛の1つだったのでしょう。

それでも一緒に生活をしてきた自分達にとっては幸せな時間だったはずです。

しかしそれももう過去の話

今は好きだった相手はいません。

相手が一緒に暮らしていたのだと分かる私物だけが虚しく部屋のそこら中に置いてあります。

そんな私物も今では誰も使いませんから、塵が積もっているようです。

一緒に住んでいた証がどんどん寂れていってしまうような物悲しい雰囲気があります。

終わってしまった2人の関係

YOASOBI【たぶん】歌詞の意味を解釈!「おかえり」は誰に向けた言葉?笑ってしまった理由を探る!の画像

分かり合えないことなんてさ
幾らでもあるんだきっと
全てを許し合えるわけじゃないから
ただ、優しさの日々を
辛い日々と感じてしまったのなら
戻れないから

出典: たぶん/作詞:Ayase 作曲:Ayase

相手が家を出て行ってしまうきっかけとなった小さな行き違い

もし主人公にちゃんと伝えていたとしても、解決できるとはかぎりません。

人間なので、考え方や感じ方は十人十色です。

相手が心配していたように、小さな行き違いを伝えた時点で2人の関係は終わっていた可能性もあります。

しかしそれでも主人公は出て行く前に1度くらいは相談してもらいたかったのかもしれません。

歌詞の最後の3行からその気持ちを読み取ることができます。

思い出補正という言葉があるように、人の頭は自分の良いように思い出を補正しがちです。

2人で暮らしていた幸せな時間まで悲しい思い出に変えて欲しくない。

だから少しだけでも相談してほしかった、という気持ちなのかもしれません。