「背番号1のすごい奴」とは誰でしょうか。
当然プロ野球各球団に背番号1はいるわけです。
しかし当時のプロ野球で背番号1と言えば、一人しか思い浮かびません。
世界のホームラン王、王貞治です。
長嶋茂雄とともに、巨人V9時代の中心選手として打線を引っ張っていました。
歌詞にもある通り、フラミンゴのように片足を上げる「一本足打法」がトレードマークです。
プロ野球をあまり知らない方のために少し説明しましょう。
昔、巨人軍つまり読売ジャイアンツは非常に強い時代がありました。
巨人は基本いつの時代も強いのですが、「V9時代」という異常に強い時代があったのです。
巨人は1965年(昭和40年)から1973年(昭和48年)まで、9年連続でセ・リーグ優勝を果たしました。
それだけでなく、その間日本シリーズも制覇し、9年連続日本一になっているのです。
当然この記録は空前絶後、今も破られていません。
今ではリーグ3連覇でもなかなか見られない時代です。
いかに当時の巨人が異次元の強さだったかということがわかります。
そして王貞治と言えば、ホームランです。
当時の日本記録であったシーズン55本のホームランを放つなど、毎年のようにホームラン王に輝いていました。
国民栄誉賞受賞の偉人
そして1977年、王貞治の偉大な記録に日本中が熱狂します。
アメリカの大リーグ(つまりメジャーリーグ)の通算ホームラン記録を抜いたのです。
それまでの大リーグ記録はハンク・アーロンの持つ通算755本でした。
1977年9月3日、神宮球場でついに王貞治は通算756本目のホームランを打ったのです。
それは史上初めて、日本のプロ野球がアメリカの大リーグを超えた瞬間でした。
王貞治が世界のホームラン王になったのです。
この記録達成を受けて、1977年に王貞治は国民栄誉賞を受賞します。
正確に言うと、当時の政府が王貞治を表彰するために新しく作ったのが国民栄誉賞なのです。
当然、王貞治は国民栄誉賞第一号となります。
こうした熱狂を受けて、阿久悠は「サウスポー」の歌詞を思いついたのでしょう。
歌詞の中でははっきりと名前は出ていませんが、間違いなく王貞治のことを歌っているのです。
王貞治はその後現役引退までに、通算ホームラン記録を868本まで更新しました。
これは今もギネスブックに載っている世界記録です。
音楽の記事なのに野球の話ばかりですみません。
でも「サウスポー」を語るのに、ここを避けて通るわけにはいかないのです。
真っ向勝負
ピッチャーは女性!
男ならここで逃げの一手だけど
女にはそんなことは出来はしない
弱気なサインに首をふり
得意の魔球を投げこむだけよ
そうよ勝負よ
出典: サウスポー/作詞:阿久悠 作曲:都倉俊一
歌詞の話に戻りましょう。
ピンク・レディーの曲ですから、歌の主人公は女性です。
そして、ピッチャーです。
何と言っても相手は世界のホームラン王。
緊迫する場面です。
最初の歌詞ではベンチから敬遠のサインが出ていました。
敬遠というのは、勝負を避けてわざと四球で歩かせるということです。
しかし主人公はそれに従いません。
サインに首を振り、真っ向勝負を挑むのです。
しんと静まったスタジアム
世紀の一瞬よ
熱い勝負は 恋の気分よ
胸の鼓動がどきどき 目先はくらくら
負けそう 負けそう
私ピンクのサウスポー
私ピンクのサウスポー
きりきり舞いよ きりきり舞いよ
魔球は魔球はハリケーン
出典: サウスポー/作詞:阿久悠 作曲:都倉俊一
個人的にこの部分の歌詞が好きなのです。
緊迫する勝負のドキドキと恋のドキドキをかけているのです。
いわゆる「吊り橋効果」みたいなものですね。
女性のピッチャーが大打者と対戦するというあり得ない設定の歌詞の曲です。
そこに「恋」の要素を絶妙のタイミングで入れてくる。
阿久悠さすがだなあ、うまいなあ、と唸ってしまいます。
モデルになった投手がいる!
背番号1のすごいやつが笑う
お嬢ちゃん投げてみろとやつが笑う
しばらくお色気さようなら
でっかい相手を しとめるまでは
ちょいとおあずけ
出典: サウスポー/作詞:阿久悠 作曲:都倉俊一
歌番組などで歌う場合は1番しか歌われないことがほとんどでした。
ですので、2番の歌詞にあまりなじみがない人も多いと思います。
基本的には1番の歌詞に違う単語を当てはめているようなスタイルで、新たな展開はありません。
「しばらくお色気さようなら」などはちょっと面白い表現ですね。
この対決のためには女を捨てて勝負に挑まなくてはいけないということでしょうか。
さっと駈けぬけるサスペンス
スリルの瞬間よ
熱い視線が からみ合ったら
白い火花がパチパチ 心はめらめら
燃えそう 燃えそう
私ピンクのサウスポー
私ピンクのサウスポー
きりきり舞いよ きりきり舞いよ
魔球は魔球はハリケーン
出典: サウスポー/作詞:阿久悠 作曲:都倉俊一
「サウスポー」というのは左投げのピッチャーのことです。
背番号1が王貞治をモデルにしていたように、実はこのサウスポーのピッチャーにもモデルがいると言われています。
当然ですが、女性ではありません(笑)。
実在のプロ野球選手です。
当時クラウンライター・ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)というチームに在籍していた永射保投手です。
1977年のプロ野球オールスターゲームで、王貞治選手と永射保投手は対戦しています。
その時、永射投手はカーブで王貞治を三振にしとめました。
このシーンを見て、阿久悠は歌詞のアイディアを思いついたと言います。
永射保は左投げのアンダースローという珍しいタイプのピッチャーでした。
今も昔も、左打者には左投手をぶつけるというのが野球のセオリーです。
特に横手投げやアンダースローのサウスポーが有効なのです。
左打者にとって背中からボールが来るように見えるので、非常に打ちづらいと言われています。
「サウスポー」の振り付けで、ボールを投げる動きがあります。
この時の動きはソフトボールのような下手投げの動作になっていますね。
実はこれもアンダースローの永射投手を意識したものなのです。