2つのアルバムに収録

【フレデリック/ハローグッバイ】歌詞の意味を徹底解釈!あなたは”戦わない戦い方”を知っているか?!の画像

フレデリックの『ハローグッバイ』は、2015年に発表されたアルバム曲です。

『OTOTUNE』と『フレデリズム』という2つのアルバムに収録されています。

考察がはかどるMV

『ハローグッバイ』のMVをチェックしてみましょう。

殺風景な部屋に佇む赤い服の女性。

なんだか悲しげな表情をしています。

段ボールがあちこちに置かれているのは、引越しの準備をしているからでしょうか?

MVの中で男性の背中に女性が抱きついている映像が一瞬だけ映ります。

女性は恋人と別れたから引っ越すことに決めたのかもしれません。

そうだとすると、女性が青いカーディガンを羽織り髪型も変えているときの姿は過去の記憶なのか……。

歌詞だけでなく、MVもいろいろと考察したくなる曲です。

残酷な世界を自分たちの力で変えていこう

歌詞から滲み出るやるせなさ

SHE かたかた泣いてるし ほらふんだりけったり悲しいし
誰かを愛してやったって認めてくれやしない終始
天気もなんともいえないし ほら返事もそんな聞こえないし
誰かを大事にしてみたら誰かが犠牲になってしまったんだ

出典: ハローグッバイ/作詞:Koji Mihara 作曲:Koji Mihasra

このメロディーは聴いていて非常に耳に心地よく感じられると思います。

それは歌詞が「シ」の音で韻を踏んでいるから。

韻を踏んだ歌詞は1度聴いただけでも耳に残ります。

それではつづいて歌詞の内容について見ていきましょう。

耳に心地よいリズムとは裏腹に歌詞の方はネガティブな言葉が多く並んでいます。

もう何もかもが上手くいかない、とそんなため息まで聴こえてきそう。

「ふんだりけったり」や「認めてくれやしない」という歌詞から滲み出るやるせなさ。

最後の「誰かを~」の部分は、このやるせなさが最も顕著に表れている部分でもあります。

誰かが幸せになると、別の誰かが不幸になる。

悲しいけれどもこれが現実。

みんなが幸せになれる世界なんてどこにも存在しないのかもしれません。

良かれと思ってした行動も結果的には空回り。

与えるばかりで見返りもない。

愚痴っぽいといえばそうですが、共感できる部分も多い歌詞ですね。

きっと綺麗事だけでこの世界を語ることなんてできないのでしょう。

世界を素晴らしくする力

素晴らしいそんな世界で
いつもどうりのセンセーション
君と涙コミュニケーション
新しいありえないこの想像力で
いつも通りのモチベーションで口を開いて

出典: ハローグッバイ/作詞:Koji Mihara 作曲:Koji Mihasra

ここの歌詞でまず注目したいのは、初めの「素晴らしい~」の歌詞。

曲の冒頭であれほど世界の残酷さを嘆いていたのに「素晴らしい」?

皮肉とも受け取れますが、曲を聴いていくとどうやら違うらしいことに気付きます。

そこで次に注目したい歌詞が「新しい~」と「いつも通り~」の歌詞。

想像力とモチベーション。この2つで世界を素晴らしくするような歌を歌おう。

最後の歌詞には、そんな意味が込められているように思います。

「口を開いて」というのは、歌うことを意味しているのではないでしょうか?

初めに世界は素晴らしいと歌ったのは、理不尽に負けない力の存在を知っているから。

どれだけ悲しいことがあっても、自分たちには世界を素晴らしくできるだけの力がある。

それはセンセーションやコミュニケーション。

もちろん想像力とモチベーションも。

ここでもまた韻を踏んでいて、耳に残りやすい歌詞になっていますね。

世界も未来も素晴らしい

君との未来を守りたい

SHE ぽろぽろ泣いてるし 痛みを知ってて寂しいし
命と平和のアプローチ ほら忘れちゃいけないよの精神
知らない両手に手を貸して 見えない両手に立ち向かう
守ってあげなきゃいけない未来は一番近くで待ってる君なんだ

出典: ハローグッバイ/作詞:Koji Mihara 作曲:Koji Mihasra

2番も最初は世界の残酷さについて歌っていますが、1番とは違う点があることに気付くと思います。

1番では終始ネガティブな言葉が続いていました。

しかし2番では、ネガティブな雰囲気をつくっているのは初めだけ。

「命と平和~」からの歌詞は、残酷な世界に立ち向かっていく力強さがあります。

この世界を1人で生きていくことなんて絶対に不可能。

だからこそ知らない人たちとも助け合っていかなければなりません。

たくさんの人と手を取り合うことができたなら、見えない敵にだって立ち向かっていける。

そうして自分が守りたいものとは一体何なのか?

それは未来の「君」。

この「君」というは、”共に未来を生きていく君”とも”未来で出会うかもしれない君”とも解釈できます。

いま現在、共に生きていきたいと思える存在がいる人にとっては前者。

先行きの分からない未来に想いを馳せている人にとっては後者になるでしょう。

歌詞解釈の答えは1つではありません。

自分が感じるままに言葉を受け取るのが、きっと1番正しいことなのでしょう。