21枚目のシングル!

疾走感溢れる和ロック!

己龍【手纏ノ端無キガ如シ】歌詞を徹底考察!何を繰り返している?痛みに悶え苦しむ描写が胸に刺さる…の画像

数いるV系バンドの中でも独自の世界観を打ち出している己龍

すっかりベテランの域に入った彼らですが、ここでまた新しい頁を開いたようです。

『手纏(たまき)ノ端無(はしな)キガ如(ごとし)』は2019年7月10日発売予定のマキシシングル

己龍の持ち味である和の要素を含みつつも、激しい演奏が楽しめる聴きごたえのある一曲に仕上がっています。

今回は同曲の歌詞を独自に考察してみました。

難しい古語が沢山使用されていることも特徴の己龍

今回はどんな物語を描き出しているのでしょうか?

まずは、MVからご覧ください。

MVをチェック!

鳥居の前で熱演

千本鳥居の前で激しく演奏する己龍。

セピア色の映像は昔の写真を見ているような不思議な気分になります。

鮮やかなカラー映像になる場面との対比が面白いです。

珍しく昼間の野外でのロケですが、それも「意外と良い」というコメントが寄せられていました。

神社の境内と見られる所を舞台に、思い思いパフォーマンスが繰り広げられ…

曼荼羅や万華鏡を思わせる背景で各メンバーが演奏するショットも。

両手を合わせたりこちらに手を差し伸べたりと、歌詞に合わせた動きが多く見られました。

歌詞が右側に表示されており、「唯一」などの言葉が随所で中央に。

今回の衣装は全員統一したテーマになっており、腕や肩に付いた黒いファーがお揃いになっています。

ギターの酒井さんのメイクがおどろおどろしい雰囲気でMVに良くマッチしていますね。

酒井さん曰く「神頼み糞喰らえ」と言うのが今回のメインテーマなのだとか…

神社なのに?と思ってしまいますが、「アンチテーゼ」の意味合いを込めているといった趣旨のコメントをしていました。

歌詞にもそういったテーマは反映しているのでしょうか。

次からは歌詞を解説していこうと思います。

歌詞を解説!

滑稽な私と自嘲する

彼方から眺める私は嘸(さぞ)かし滑稽でしょう
嘲笑が静けさに沁み入り谺する
何度此処を立とうとも 何度此処へ帰ろうとも
其の実、どれだけ重ねど不実

振出を見失う これは行きか帰りか

出典: 手纏ノ端無キガ如シ/作詞:不明 作曲:不明

この歌詞の主人公は自分のことを「愚かに見えるだろう」と自嘲しており、周りから嘲られたことに酷く傷ついています。

自分自身でも「愚かだ」と自己嫌悪に陥っているようです。

頭には嘲られた言葉がずっと鳴り響き、かなり辛い状態。

周囲や自分の責める声から逃れようと、色んな場所を彷徨いますが…

やっぱり自分が過去に間違いを犯したことによる罪の意識は消えません。

具体的にどんなことをしたのかは、この時点ではまだ良く分からないのですが。

「不実」から想像すると、どうも約束を交わした相手がいたのに裏切ってしまったように思えます。

新たな人生をスタートさせようとするも、何も変わらない自分の状況に気づき「一体どうすればいいのだろう」と悩んでいるようです。

主人公の置かれている状況が、かなりフラストレーションの溜まりそうなものだというのがはっきり分かりますね。

痛みだけが唯一のもの

跪き手を合わせ声高々に喘ぐ
祈り 崇め 拝み その果てに何を掴んだ
泣けど叫べど喰われ残る痛みこそが
唯一…それが己の唯一

出典: 手纏ノ端無キガ如シ/作詞:不明 作曲:不明

歌詞の主人公は神へ必死になにかを願っています。

先ほどの内容から考えると罪を許してもらえるように訴えているのでしょうか。

そうすることで心の平穏が得られると思っているのかもしれません。

しかし、主人公が得たものは何もなく、逆に失っていくばかり。

彼(彼女)に残ったのは「痛み」だけ。

苦しむ主人公には皮肉にもその「痛み」しか実感できるものがありません…

もしくはこの「痛み」だけが自分の苦しみを紛わせることができるのかも。

少々、痛い話になってしまうのですが、著者はどうしても自傷行為を連想してしまいました。

過剰なストレスから自らの身を守ろうとして、人間は時にこういった行為を行ってしまう場合があります。

V系の曲では良くテーマになる事柄です。

いついつまでも

朱の口とは