BUMP OF CHICKEN【月虹】歌詞の意味を考察!ひとつだけの理由って?命に導かれた記憶とはの画像

耳と目が記憶を 掴めなくなっても
生きるこの体が 教えてくれる
新しい傷跡に 手を当てるそのたびに
鮮やかに蘇る 懐かしい温もりを

出典: 月虹/作詞:Motoo Fujiwara 作曲:Motoo Fujiwara

非常に大事な箇所になります。

藤原基央の哲学のようなものが明らかになるのです。

僕は小さな自分の生命の意味というものについて考えていました。

その僕が尋ねるのは記憶というものではないといいます。

僕は自分の脳の中の出来事ではなくて、身体というものに答えを訊こうとするのです。

記憶というものも生命があるからでしょう。

しかしその手で触れることができないものでもあります。

身体は手をそのものだって含むでしょう。

この世界にあるものだと確信を抱く必要もなくそこに在るものが肉体です。

僕は傷というものを手当する際に感じる熱というものの実体としての確かさを見ます。

肉体的ではない思考というものは信じません。

あくまでも身体で感じられるものを信じて僕は再生しようと決意するのです。

僕の口を借りて藤原基央は悩む日々からの解放の道を照らします。

凝り固まった考えではなくて、肉体に宿っている生命というものを信じるといいと歌うのです。

最後に 虚無感からの再生の物語

まるでスピノザの思想のように

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世界が笑った様に輝いたんだよ
透明だったハートが形に気付いたよ
どこに行ったって どこにも行かなかった
あなたひとりとの 呼吸のせいで

出典: 月虹/作詞:Motoo Fujiwara 作曲:Motoo Fujiwara

曲の終盤になります。

ここでもう一度あなたという存在が現れるのです。

まず僕は世界というものが眩しくなったことを歓びます。

また自分の心というものがきちんとハートマークに収まっていることを実感するのです。

それもすべてあなたという超越的な存在がひと息ついただけで甦ります

世界の実感のようなもの、リアルな感触というものが僕を圧倒するのです。

それは冒頭では空虚さを抱えていた存在であった僕が大きく成長したことを表現します。

「月虹」とは虚無感からの再生の物語です。

そしてその際に鍵となるのが自分の身体というものと超越的な存在であるあなたのふたつでしょう。

さらにいえばこのふたつは実は同じ性質を持っていることに気付くのです。

スピノザがあらゆる実体に神という超越的な存在を見つけるのと同じような真理でしょう。

藤原基央の歌詞は私たちの想像力を超えて大きなものになりました。

ただ、彼が訴えたいことは身体というものに訊けばたどり着ける答えだともいいます。

そこに生命そのものがあるから、そいつに問うてみれば虚無感から脱出できるというのです。

自分の生命力に問いかけること

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たった一度だけでも頷いて欲しい
どんな歩き方だって会いに行くよ
あっただけの命が震えていた
理由ひとつだけ 虹を見たから
いつだって 舞台の上

出典: 月虹/作詞:Motoo Fujiwara 作曲:Motoo Fujiwara

いよいよクライマックスの歌詞になります。

藤原基央は僕の口を借りて生命とはただそこに在るだけのものだけれども何よりの真理だと歌うのです。

生命の理由は生命だからというような循環理論のようなものを提出します。

頭ではこうした循環理論を嫌う人でも身体に問うと同じことにたどり着くはずです。

そして僕が人を求めるのは空に虹を見かけたから、ただそれだけだとも歌います。

空に架かる虹というものは原因を持っているでしょう。

しかしその原因というものには精神や思想というものなどは介在しません。

これがあらゆる生命に同等に用意されたステージだという結論で「月虹」は力強く幕を下ろすのです。

世界というものに理由はないけれどもあなたという超越者はいる。

そこで生まれた傷を癒やすのには自分の身体にある生命力こそが要である。

生命は理由なくそこにあるものだけれど、万物の存在理由は生命だと歌いました。

ここに世界の一元性への確信があり、これまたスピノザ的な思想です。

理由というものは生命にしかないし、生命こそがまた理由になる。

つまり理由はただひとつ生命というものだけです。

それでも藤原基央が歌ったことは多層的かもしれません。

しかしそのステージはこの世界というものです。

ここでの彼の思想をもっと訊いていたいのですが楽曲は終わりに向かいます。

BUMP OF CHICKENはアレンジとしてラストに神秘的なトーンの音を挿入しました。

不思議な事柄に目を向けさせた後にその余韻というものを付け加えるのです。

確かに「月虹」で藤原基央が示した思想はあまりにも深すぎるかもしれません。

ただ、歌い出しでは虚無感でいっぱいだった作中の僕はクライマックスまでに大きく成長しました。

この僕の再生というものに宿っている生命力の回復を一緒にたどってゆくカタルシスが素晴らしいです。

「月虹」は深い哲学的な歌詞ですが、一方で僕という青年の成長譚としても鑑賞できます。

BUMP OF CHICKENと藤原基央は愉しみ方を色々と用意してくれているのです。

哲学的であってもエンターテイメントであることを忘れてはいません。

道に迷ったと憂うつな日々はどうか生命力を身体に問うて出口を探してみてください

奇跡を感じましょう。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。

OTOKAKEとBUMP OF CHICKENの軌跡

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