UVERworldの視野は歴史的なまでに広い

アーティストに完成は無い…TAKUYA∞の自嘲

遡ることミュージックシーン 4000年の歴史の上半期
その芸術に完成は無いとさ
ならば 書きかけの曲で さしずめ踊るのも世の習いかい?
test try test try test try
Ready go

to the action to the action
思う存分に行こう Hey yeah
to the wonder to the wonder
此処に読む空気はない Hey yeah

出典: Wizard CLUB/作詞:TAKUYA∞ 作曲:UVERworld

この歌詞の1~3行目の意味、なんだと思いますか?

年数的に「中国の歴史のこと?」と一瞬思ってしまいますが、そうではありません。

現在、西暦2000年代。

つまり、UVERworld今までの2000年間+今後2000年間を意識して、この歌詞を作っているのです。

この視野の広さ…!

さらに、「アーティストの進化に終わりはない」とUVERworldの完璧な大成”をあきらめています

たしかに、音楽など“アートの作り手”としては、いくら創造しても「これで100%」と満足する日は来ません

だから、すべての自分たちの楽曲は中途半端(かもしれない、と感じている)。

それでもそんな楽曲に熱中してくれるファンがいることについて、何か訴えかけている風情です…。

それでもただ、突き進むだけ!

音を創造する天才たちの苦悩は、我々凡人には計り知れません

音楽に100点満点はありません。あるのはファンの支持&自分への納得でしょう。

誰もが創作活動をするとき「“何を足して、何を引いて、どこまで作れば”納得できるのか?」と悩みます。

UVERworldのような知名度の高い創作者ならなおさら、どれほどの重圧がかかることか…

TAKUYA∞氏の“音楽の生みの苦しみ”みたいなものが感じられる歌詞です。

UVERworldと聴衆との共通点、それは…

そこにあるだろ 何をしても埋められない
その隙間をターゲット

出典: Wizard CLUB/作詞:TAKUYA∞ 作曲:UVERworld

<心の物足りなさ>です。

それを埋められるのが、音による繋がり

TAKUYA∞氏はおそらくLIVEの興奮や一体感によって、“生の実感”を味わっているのでしょう。

そして、それはファンにとっても同じこと

作り手と聴き手のあいだに、こんな共通点があるというわけですね…!

これまでのUVERworldと、これからのUVERworld

to the action to the action
確かに掛け替えは無く大切だが
to the wonder to the wonder
世界を変えるにはまだちょっと地味だな

to the action to the action
仲間恋人が何人居ようとも
埋められない 埋められなかった
隙間 満たすには充分だな

出典: Wizard CLUB/作詞:TAKUYA∞ 作曲:UVERworld

「(我々UVERworldは)現段階でもかなりイイけど、まだ上を目指せるな」という余裕。

世界どころか、歴史すらも視野に入れてしまうUVERworld。

これからもずっと物足りなさ(=ハングリーさ)を抱え続けるのですね。

つまり、現状に満足する日は来ないのです。

そこには辛さもあるでしょうが、なんてカッコイイ生き様

今のUVERworldを認める気持ちと、まだ見ぬUVERworldの姿に想いをはせる気持ち

この2つが同居しているかのような歌詞です。

ちょっと可愛い!童話に自分たちをなぞらえる

この行く手を阻むものは無い
共に行きたいなら さぁ 奏でよう
まるでブレーメンの音楽隊みたいにね

出典: Wizard CLUB/作詞:TAKUYA∞ 作曲:UVERworld

「ブレーメンの音楽隊」はグリム童話なので内容はシビアなもの。

ですが、これまで自らのことを「Wizard」と呼んでいたところからの、突然の「ブレーメンの音楽隊」呼び

なんだかちょっと「可愛い」と思ってしまいます。

これはTAKUYA∞氏による、ファン及びメンバーへの呼びかけでしょうか。

「時間のゆるすかぎり、音楽の道を仲良く連れだってゆこう」

そんな意味には捉えられないでしょうか。

参考までに「ブレーメンの音楽隊」のあらすじ