北島三郎とくれば「函館の女」

【北島三郎/函館の女】歌詞の意味をチェック!別れた女を追いかけて函館へ?!実は悲しい歌詞だった!の画像

は~るばる きたぜ は~こだて~~!

出典: 函館の女/作詞:星野哲郎 作曲:島津伸男

このワンフレーズで一世を風靡した名曲

「北島三郎」の代名詞ともいえる「函館の女」

まずはじっくりと動画を見てみましょう!

いかがですか?

当時を知っている人にとっても懐かしい映像です。

歌いだしからキャッチーなこのフレーズ。

さらにこの歌を全国的に有名にしたのが、永谷園のお茶漬けシリーズです。

「はるばる来たぜサケ茶漬け~、あなたと食べたいサケ茶漬け~」。

40代は無理だけど、50代ならぎりぎり覚えてるんじゃないですかね?

通称サブちゃん

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通称「サブちゃん」の愛称で呼ばれている演歌の大御所「北島三郎」

人懐っこい笑顔が特徴の小柄な男性ですが、筆者のイメージでは小柄なところが思い出せないんです。

バンドマン現役のころ、一度だけ控室ゆきの通路ですれ違いました。

当然、芸能界あいさつの「おはようございます!」となるわけですが、緊張のあまりバカ丁寧になってしまったことを覚えています。

余談ですが、通常は「おはよう」の部分があいまいになって「ざ~す!」だけが力強く発音します(笑)。

この時は「山本譲二ショー」の応援に来られた時だったと思います。

テレビで見ているいつもの笑顔ではなく、厳しく引き締まった顔をされていたので、全然小ささを感じなく、むしろ大きく見えました。

全身からオーラが出ていましたね。

すれ違う時は思いっきりキンチョー!でした。

函館の女=青函連絡船?

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タイトルからはイメージできない船?

でも、歌詞で波を乗り越えちゃってますのでね。

つまり、函館にやってくるには青函連絡船に乗ってくるわけです。

このイメージが強いせいで、女の人のお話が薄くなっているようです。

ではこの強烈な歌詞はどのようにして生まれたのかを見てみましょう。

星野哲郎との出会い

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日本の60年代から70年代までの歌手の世界は、作曲家とレコード会社とセットで運営されていました。

「北島三郎」「船村徹」の門下生で、60年代の初めのデビューです。

その時の歌「なみだ船」(作曲:船村徹)で作詞家「星野哲郎」と出会っています。

この当時は作曲家の「船村徹」の方が有名でしたので、レコード会社(クラウン)からは「星野哲郎」はさほど大事にはされていません。

それでも次の曲の歌詞をレコード会社に打診して、B面ならとOKをもらいました。

この当時よくあることで、A面よりもB面がヒットした典型なパターンとして有名なお話です。

実際は、二人はこれ以前からの付き合いで、お互いを良く知っていたようです。

「北島三郎」は函館からちょっと西に行った知内町の出身で、「星野哲郎」は遠洋漁業「ニチロ」の船員出身です。

どちらも函館が共通で、すでに「函館の女」が出来上がる下地は整っていたんですね。

作曲は島津伸男

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同じ「船村徹」門下生に作曲を修行していた「島津伸男」がいました。

あの「新聞少年」という曲の作曲者です。

50代後半以降の方ならぎりぎり覚えてるんじゃないでしょうか?

いつも北島三郎のステージで指揮をしているニカッという感じの笑顔のおじさんです。

「函館の女」は最初B面ということで作られたので、師匠の「船村徹」も門下生の「島津伸男」に作曲を任せたようです。

これが功を奏して大ヒットが生まれたのでした!

「函館の女」から続くシリーズとは?

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