遠いところへ行った友達に
潮騒の音がもう一度 届くように

出典: 瞳を閉じて/作詞:荒井由実 作曲:荒井由実

筆者の予想通り「手紙」の相手は「友達」でした。

子供の頃はいつも一緒にいた友達。

それこそ海でもよく遊んでいたはずです。

そんな友達に送る手紙。

これは「帰ってきてほしい」といった意味ではないでしょう。

あくまで「こちらの現状」や「潮騒〜」とあるような思い出を届けたい。

そんな想いが伝わってくるフレーズです。

悲しみに暮れている訳ではなく、ただの現状報告や軽い挨拶。

現代で例えると地元を離れた友人と久しぶりにチャットで会話するイメージでしょうか。

それをロマンある方法で試みているのです。

ここにもユーミンらしさが滲み出ています。

なんとなくわかっている

今 海に流そう

出典: 瞳を閉じて/作詞:荒井由実 作曲:荒井由実

前述にあるようにこれはあくまでロマンある行動です。

ドラマチックな展開はありません。

きっと手紙は友達に届くことはないはずです。

それこそ手紙を海に捨てるようなもの。

それを承知で「海に〜」とあるように手放してしまいます。

ふと思い立ったことでも、ここまで無意味なことをするでしょうか。

直接友達に郵便を出せばいいはずです。

それを敢えてしないのは何故でしょう。

筆者は思い出に浸るつもりがないからであると考えました。

きっと自分も友達も大人です。

あくまで自分の中だけで思い出や懐かしさを補完しているのでしょう。

これは大人に与えられた特権のようなものです。

大人が大人でいるために時折、子供な自分を自分の思い出の中で遊ばせる。

その遊びに友達を巻き込むわけにはいきません。

だから捨てること同然に手紙を送ったのでしょう。

少しだけ大人を香らせるフレーズです。

視点は変わり

見えるかも...

ここから視点が変わり、「島にいる自分」から「島を出た友達」の主観で歌詞が展開されます。

この曲は前述にある通り校歌として作曲されました。

そのためユーミンが得意とする曲中の大きな転換はありません。

しかしそこはユーミン、抜かりはないのです。

曲な雰囲気はそのままに、歌詞だけを大きく転換させています。

霧が晴れたら 小高い丘に立とう

出典: 瞳を閉じて/作詞:荒井由実 作曲:荒井由実

このフレーズに登場する「霧」。

筆者は本当の霧ではなく、忙しない日々のことだと思いました。

島にいた頃のようなのんびりとした生活はもうないのです。

色々なことが絶え間なく変わっていく日々を必死に生きています。

そんな忙しい日常を送る中で、ふと思い立ったのです。

この「思い立ち」は1番の自分と同じもの。

誰しも一度は味わったことのある衝動ではないでしょうか。

きっと「この1週間を乗り切ったら...」という感覚です。

決して近くない

名もない島が 見えるかもしれない

出典: 瞳を閉じて/作詞:荒井由実 作曲:荒井由実

忙しい日々を乗り切ってひと段落。

疲れ果て迎えた週末。

のんびりと生きていた故郷を想いを馳せます。

そうして淡い期待を胸に「丘」に登った自分。

しかしきっと故郷は見えないはずです。

このフレーズで「故郷の島って近いのかな」と思われる方はいないでしょう。

故郷から遠く遠く離れた街で生活しているのは、明らかに1番のムードがそれを物語っています。

あくまで「淡い期待」がさせた行動なのです。

見えないとわかっていても「見えるかな」と丘を登ったのでしょう。

そうせずにはいられない「感情」を押し殺しているようなニュアンスが香ります。

故郷も海も思い出の中に

私はもう大人

小さい子供にたずねられたら
海の碧さをもう一度伝えるために
今 瞳を閉じて
今 瞳を閉じて

出典: 瞳を閉じて/作詞:荒井由実 作曲:荒井由実

自分が知っている海。

その素晴らしさは思い出の中だけのもの。

しかし誰しもがその素晴らしさを知っているわけではありません。

都会生まれ都会育ちならばなおさらです。

海を知らない「子供」は現代にもたくさんいるはず。

そして何よりも自分はもう大人。

あの素晴らしい街並みや景色をそんな子供に伝えたい、引き継ぎたいのです。

そのために自分は「今は〜」とゆっくりと思い出の「海」に身を沈める...

最後まで「ロマン」のある歌詞と優しいメロディーで曲は締めくくられます。

実は...