嗚呼 神様 僕を
僕を 騙してくれないか
今より泣いて 笑えるなら
騙してくれないか
絵空事や 言葉未満の
思いや 寂しさも 理由に変えて
出典: https://twitter.com/masashi_feet2/status/824947774038761473
「嗚呼 神様 僕を 僕を 騙してくれないか」という歌詞は、騙されていてもいいから、もっと「泣いて笑って」いろんなことを感じて過ごしたいという歌詞です。
「絵空事や言葉未満の思いや寂しさ」を「理由」に変えるという歌詞は、もしかしたら、どんな小さなことや辛いことも音楽に変えたいという10-FEETの想いを歌ったものかもしれませんね。
とすると、「神様」にもっといろんなことに感動しながら生きたいと願っていたのも、もっと良い音楽を作りたいという想いからなのかもしれません。
今まで苦労して来た10-FEETの姿を思い浮かべると、切実な想いが聴こえてくるようですね。
明かされるサビの歌詞の続き
そして明日には
もうここにはもうこのセカイは
朝はもうそこに来てた
嗚呼言葉のない遥か大昔
それなら今より
少しは分かり合えたかな
出典: https://twitter.com/HMWK_KUK/status/831808792681607169
「そして明日にはもうここにはもうこのセカイは」と今までの歌詞を全て回収し、言葉の続きを紡ぐ歌詞です。
不吉な予感がするような響きをした言葉の続きは、「朝はもうそこに来てた」ということ。
わからない明日、そして、未来の「セカイ」への不安な気持ちを抱えたまま、必死で生きた先には当たり前のように「朝」がそこに来ていたということです。
つまり、何かにつけて考え込み、そして言葉を重ねては混乱して不安を募らせていく現代人には、そんな当たり前のことがわからなくなっているのではないかといっているのではないでしょうか。
だからこそ誰も何の疑いも持たずに「朝」を待っていた「言葉のない遥か大昔」は、「今より少しは分かり合えたかな」と言っているのです。
おわりに
もうそこには...と含みを持たせて言われると、もうそこにはいなかったというような言葉が続くんじゃないかと勝手にマイナスの意味に想像してしまいますね。
そんなリスナーの心を見透かしたように繰り返し、最後のサビで、「朝はもうそこに来てた」とその答えを出したのは、現代人の多くがそうやって言葉尻やニュアンスから勝手に先を読んで、不安に思ったり疑ったりしていることを指摘しているのでしょう。
もっと「言葉足らず」が上手になって、寄り添ったり抱き合ったりすることで愛や優しさを伝えられるようになれば、もっと誤解や欺瞞もなくなり、分かり合えるようになるのではないかと、言葉に頼りすぎる世の中に問題提起をしているようなこの歌詞。
考えれば考えるほど深い10-FEETの「ヒトリセカイ」の歌詞。あなたはどう解釈しますか?
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